多様性が叫ばれる世の中で、誰よりも早く、誰よりも熱く、誰よりもスマートに個性の素晴らしさを謳い、それぞれの個の表現の自由の獲得のために戦ってきた坂本龍一。アーティストという枠を超え、世界をつなぐハブとして我々をクロスカルチュラルにコネクトしてくれた彼への思いを、ジャーナリスト鈴木正文が綴る。
1.
坂本龍一さんには2冊の自伝本がある。2冊とも僕を聞き手に彼が語った言葉を坂本さん本人が校正・校閲してまとめたもので、1冊目の『音楽は自由にする』は2009年の2月、坂本さんが57歳のときに、そして2冊目の『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』は2023年の6月、ということは、その年の3月28日だった坂本さんの死のおよそ2カ月後に、それぞれ出版された。享年は71であった。版元はいずれも新潮社だ。
と、書いて、そうか、彼がいなくなって2年が過ぎようとしているのか、と分かりきったことをおもう。去年の12月20日、東京・江東区の「東京都現代美術館」に行ったことも、つられて思い出した。その翌日の12月21日から今年3月30日までの会期で開かれている、坂本龍一さんの大規模個展である『音を視る 時を聴く』の、プレスおよび関係者向けの内覧会がその日にあった。
この展覧会のための美術館の特設サイトには、「本展では、生前坂本が東京都現代美術館のために遺した展覧会構想を軸に、坂本の創作活動における長年の関心事であった音と時間をテーマに、未発表の新作と、これまでの代表作から成る没入型・体感型サウンド・インスタレーション作品10点あまりを、美術館屋内外の空間にダイナミックに構成・展開します」との趣旨の説明がある。たしかに「没入型・体感型サウンド・インスタレーション」は多くあった。
そのどれもが体験に十分な時間を要求するクオリティのものだったけれど、なかでも、そのうちのひとつに胸が詰まった。そのインスタレーションでは、在りし日の坂本さんがおこなった演奏データにもとづいて演奏する自動ピアノの前面に大きなガラス板が置かれ、そこに演奏する坂本さんの後ろ姿のムービー映像が投影されて、映像のなかの坂本さんの両手と上半身の動きが、自動操作されている鍵盤のアクションと同期していた。本人がその場で鍵盤を叩いているかのようなイマージュであり、音響だった。岩井俊雄とのコラボレーションによるこの作品は、1997年にオーストリアで開かれた「アルスエレクトロニカ97」で上演された坂本龍一×岩井俊雄《Music Plays Images X Images Play Music》の記録ビデオとピアノ演奏を記録したMIDIデータを使用して、当時のパフォーマンスを一部再現したものであるという。
坂本龍一×岩井俊雄《Music Plays Images X Images Play Music》1996‒1997/2024 ©2024 KAB Inc. 撮影:丸尾龍一
それはむろん、坂本さんの演奏会で生身が経験した臨場感とはくらべることのできない抽象的たらざるをえない「作品」でしかない。生身の演奏による一回かぎりで消失してしまう音響および視覚体験を「本物」とするなら、「ニセもの」である。けれど、「ニセもの」は、「本物」とは別であることによって、不在の「本物」を、かえってそれに、より迫真性を帯びさせて、立ち現れさせる。過去の、ある種の写真や録音がそうするように。
ある日ある時のオーストリアでの、「本物」の、そしてもはや、地上のどこにもその跡形も残さずに消え去ってしまったパフォーマンスが、すなわちひとつの失われた過去が、2024年12月20日の東京の美術館内に、擬似的に立ち現れた。僕とともに美術館のその場にいたそれぞれのかたちで坂本龍一さんに関わりをもった人々のひとりひとりが、その「立ち現れ」をどう受け止めたかは分からない。けれど、僕の胸は詰まった。失われた過去の立ち現れとともによみがえる記憶は、多かれ少なかれ、現在の自己を防衛する種々のフィルターによってろ過された「ニセもの」の過去であるだろう。いわんや、このテクノロジー主導の「没入型・体感型サウンド・インスタレーション」においてをや、だけれども、なにがどうこう、と理屈を立てるまえに、そのとき僕は、たしかに、坂本さんの「音を視」、「時を聴」いた気がした。
坂本龍一 with 高谷史郎《IS YOUR TIME》2017/2024 ©2024 KAB Inc. 撮影:福永一夫
2.
坂本さんの「過去」は、僕をもふくむ彼を知る多くの人が、各人にとっての「現在形の過去」として、ときに呼びおこし、立ち現れさせるなにかである。視る音であり、聴く時である。そしてそのとき、僕たちは、視ている音、聴いている時の意味を探し求める。
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(新潮社)のなかで、坂本さんはいう。
「これは人間の脳の習性だと思うのですが、ぼくたちは夜空の星を見ると、つい明るい点と点を線で繋ぎ、星座を描いてしまいますよね。実際には、それぞれの星同士は何万光年も離れているのに、あたかも同じ平面上にあるものとして捉えてしまう。同様に、白いキャンバスにひとつ点を打ち、2点目を打った時点で、ぼくたちはそれらふたつの点を直線で繋いでしまいます。さらにそこに3点目を打ったら、今度は三角形を作ってしまう。これは音楽に置き換えてもおなじで、例えば『レヴェナント:蘇えりし者』のメインテーマをとってみても、最初の2音を聴くだけで、我々はそこに意味を求めてしまいます」と。
『レヴェナント:蘇えりし者』はアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督による映画で、2016年の米アカデミー賞監督賞や主演男優賞(レオナルド・ディカプリオ)を受賞した。音楽を担当した坂本さんは、この制作当時、中咽頭ガンの治療を受ける闘病中の身であった。にもかかわらずイニャリトゥのファンであったかれは、監督のリクエストに応じた。
「夜空の星同士を勝手に繋いでしまう人間の脳の特性、つまり理性のことをロゴスと呼ぶのに対し、本来の星の実像のことはピュシスと呼ぶ。フィジックス(物理学)の語源で、『自然そのもの』という意味ですね」と坂本さんは同書のなかでつづけ、「ぼくたち人間はどうしたらロゴスを超えてピュシスに近接しうるか」と述べている。
坂本龍一+高谷史郎《async‒immersion tokyo》2024年 ©2024 KAB Inc. 撮影:浅野豪
このピュシスへの近接を音楽的に試みたのが、2017年に発表したオリジナル・アルバムの『async』であった、と坂本さんは述べている。async(アシンク)とは「非同期」という意味である。非同期、すなわち、同期しないこと──。
世界は非同期(async)だ、と坂本さんはいって、「この世界は、ただ一人の指揮官が刻むリズムに従って前進する小隊ではなく、互いに影響を及ぼし合う出来事のネットワークなのだ」というカルロ・ロヴェッリの『時間は存在しない』(NHK出版)のなかの一節を引用し、指揮者の刻むリズムにしたがって演奏される音楽のように同期するものが世界ではない、と論じる。
そもそも「時間」も同期していない。アインシュタインの一般相対性理論が明らかにしたように、宇宙のどこでも共通の時間があるわけではないし、地上であっても、重力中心に近い低地とそれから遠いエべレスト山頂とでは、ごくわずかとはいえ、低地の時間がよりゆっくり進むという「非同期」がある。「これは僕が感じている世界のあり方にとても近い。まさしく“async(非同期)”だ。
坂本龍一+アピチャッポン・ウィーラセタクン《 async‒first light》2017年「Ryuichi Sakamoto | SOUND AND TIME」展示風景、成都木木美術館(人民公園館)、2023年 画像提供:成都木木美術館
アルバム“async”で表現したかった「sync」(同期)することへの疑問とは、皆が共有するひとつの時間という存在への懐疑があったからだ」と、彼は『坂本図書』のなかで述べる(『坂本図書』はハースト婦人画報社の雑誌『婦人画報』上で 2018年から2022年にかけて36回にわたって掲載された同名連載をまとめた書籍で、2023年9月に、伊藤総研氏の文・構成により「一般社団法人坂本図書」が刊行した坂本龍一流のブック・ガイドともいうべき本である)。
けれど、というか、それゆえにというべきか、非同期の世界に直面した僕たちは、ロゴスによる意味付与によって非同期世界に意味秩序を与える。その秩序によって世界を意味化することによって、非同期の世界に存在することに耐えようとするかのように。
そうしてロゴス=意味の秩序は制度をもたらし、制度はその撹乱要素を制度の外に排除して秩序の自己保存的安定を得ることに腐心するのである。
中谷芙二子《 ロンドンフォグ》霧パフォーマンス #03779、2017年「BMW Tate Live Exhibition: Ten Days Six Nights」展示風景、テート・モダン、ロンドン、英国 コラボレーション:田中泯(ダンス)、高谷史郎(照明)、坂本龍一(音楽) 撮影:越田乃梨子
3.
1969年の秋、東京屈指の名門進学校のひとつであった都立新宿高校3年生だったとき、坂本さんは、自らも主導者のひとりとなって、「制服制帽の廃止、すべての試験の廃止、通信簿の廃止」など、7項目の要求を学校側につきつけてストライキ闘争を領導した。
「『人が人を評価できるはずがない、ましてや人を数字で評価してはならない』というのが主張の中心でした」と、『音楽は自由にする』のなかで、その闘争の動機について述べている。教育なるものが制度化した学ぶことの「意味」への、ひとつの異議申し立てであった、と。
「それは、試験で生徒をランク付けして大学に送り出していく、という教育の仕組み自体を否定することになります。学校制度の解体ですね。もちろん先生たちは困ります。何らかの評価をしないと、生徒を大学に進学させられない。試験を強行しようとする先生がいると、ぼくらは教室を回って答案用紙を破り捨てたりしていた」。19世紀初頭、産業革命下のイギリスで、労働者の仕事を奪った機械を破壊したラッダイストを思わせるような急進的な行動である。
そして、ストのあいだ、生徒たちは、「今起きていることこそが世界史だ、と言って、ベトナムやパリで起きていることについて討論をしたり、フッサールを読んで現象学的還元をかじったり」という内容の自主授業をやったという。文部省(当時)の定める学習指導要領にまったく同期しない「授業」だった。
ストは4週間続いた。「先生たちは真摯に話し合ってくれて、制服制帽も試験も本当になくなってしまいました」(同)。
ラッダイト運動は、絞首刑や流刑などによる政府の弾圧によって粉砕されたけれど、新宿高校のラディカルな闘争は生徒側の勝利のうちに終わった。現在、新宿高校には「標準服」なるものがあるようだけれど、生徒の多くは私服で通学しているらしい。突き崩された制度の一角は、生徒をより自由にしている。制度のうちにおけるasyncのひとつの具体的形態がそこに見出される。
坂本龍一+高谷史郎《TIME TIME》2024年 ©2024 KAB Inc. 撮影:福永一夫
坂本さんの父親は著名な文芸編集者で母親は帽子デザイナーだった。坂本さんがピアノに出合ったのは、3歳か4歳のときに通っていた自由学園系の「幼児生活団」という名の幼稚園においてだった。自由学園は、日本ではじめての女性新聞記者となったといわれる無教会派クリスチャン(プロテスタント)の羽仁もと子が、ジャーナリストで教育者の夫である羽仁吉一とともに1921(大正10)年に設立した。「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」学ぶことをうたう学校法人で、その幼稚園に坂本さんを通わせたのは、母の敬子であった。敬子は進歩的でリベラルな人であった、と坂本さんはいっている。
この幼稚園では「ピアノの時間」があり、園児はみな毎週のように、順番にピアノを弾かなくてはいけなかった。坂本さんは「ピアノの時間」が「楽しいという感じはぜんぜんしなかったし、どんな曲を弾いたのかも覚えていない」と『音楽は自由にする』で述べている。「当時ぼくは、とくにピアノが好きだったわけではないし、特別うまくもなかった」とも。しかし、「もしよその幼稚園に行っていたら、その先はだいぶ違っていたのかもしれません。あるいは音楽をやっていなかったかもしれない」と、つけくわえている。ピアノとの、このなかば強いられた出合いのおかげで、高校時代には「学校制度の解体」を呼号していた坂本さんは、1970年に東京藝術大学音楽学部作曲科に現役合格して音楽家の道を歩むことになった。
大学生になった18歳の坂本さんは、「とにかく民族音楽と電子音楽は学び倒してやろう」と決意していたという。なぜなら、「西洋音楽はもうデッドエンドだ。この先に発展はない」「従来の音楽でブロックされた耳を解放しなければいけない」と考えていたからである。高校生活終盤の制服制帽廃止闘争を動機づけた既存の制度への「同期」を拒む思想は、非同期の世界のなかの同期の芸術である正統的な西洋音楽からの逸脱と、それへの対抗価値を探求する音楽の創造へとかれを向かわせる。
坂本龍一 with 高谷史郎《 IS YOUR TIME》2017/2023年「 Ryuichi Sakamoto | SOUND AND TIME」展示風景、成都木木美術館(人民公園館)、2023年 画像提供:成都木木美術館
その後のかれの戦争と原発にたいする反対運動や東京都が進める再開発の名を借りた環境破壊にたいする公然たる批判、そして植樹を推進する非営利団体の「more trees(モア・トゥリーズ)」を拠点とした環境活動家としての奮闘などは、坂本さんの音楽活動の、非同期的音楽の創造への傾斜の深まりと同期=シンクロするかのように、坂本さんの生のコアをかたちづくっていった。制度と化した音楽に異議を申し立てるロックやジャズやポップやテクノの音楽と坂本龍一さんの音楽が響き合ったのは、ともに秩序と制度の重力にたいする反重力であろうとしたからだったとおもう。
同期する美に収斂していく世界に異議を申し立てるノイズによる非同期は、これまでに誰も知らなかった新しい美を立ち現わせることがある。システムにとって善ではないが美であり得る音楽は、システムにとって善ではないが美であり得るファッションのことをもおもわせる。世界は多様であり得るし、そのことによってより豊かになり得ることを僕たちは学んできた。坂本さんはその最前線でたたかった。ファッションの世界において、いま、坂本さんに比すべき人物はだれか?
僕はそれがだれかを知っているけれど、あなたが別の名前を挙げるのは自由だ。同期する必要はどこにもない。彼らをはげまそう。坂本さんなら、そういうだろう。
『坂本龍一 | 音を視る 時を聴く』
会場:東京都現代美術館(MOT)
会期:2024年12月21日(土)〜2025年3月30日(日)
※現在展示終了、記事内の表記の無いものは上記展示風景より
https://mot-art-museum.jp/exhibitions/RS/
Portrait Photos: NEO SORA ©2020 KAB INC.
Text: MASAFUMI SUZUKI