2026年のKYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭において、写真家・森山大道のレトロスペクティブ展が、4月18日(金)~5月17日(日)まで開催される。ここでは『10 MAGAZINE JAPAN』2026年春夏号で掲載中の、森山大道とメールで交わしたQ&Aを基に、本誌ファッション・フィーチャーズ・ディレクターでファッションジャーナリストの渡辺三津子が、森山の著書や過去の発言を振り返りながら、その創作の軌跡を追うインタビュー記事を抜粋して紹介する。
©Daido Moriyama Photo Foundation
本展では、60年余にわたり撮影されてきた森山の作品が、本人が十代の数年間を過ごした京都で振り返られることになる。その開催に合わせて『10 マガジン ジャパン』から送った質問に、写真家は簡潔な文章で答えてくれた。「写真とは?」「記憶とは?」「時間とは?」。それらの問いへの入り口はすべて写真そのもののなかにあることは間違いないが、届けられた森山の言葉を頼りに、彼の作品と同じように、写真をめぐる路(みち)から路(みち)へとあてどなく散策してみることにしたい。
「写真とは何か」
──「アレ・ブレ・ボケ」は森山さんのどのような感覚が生み出したものなのでしょうか? ウィリアム・クラインは今も刺激的ですか?
「ウィリアム・クラインはもちろん大好きです」
私が、森山大道の大規模な個展を初めて見たのはパリだった。それまでも大好きな写真家だったが、写真集以外で大量の作品を展示で見るのは初だった。展覧会は、パリのカルティエ現代美術財団において2003年、2016年と2度開催されている。いずれもファッションウィーク中の開催だった(と思う)ので、両方見たのか、もしかしたら片方だけだったのか、記憶が定かではない。この記事を書くにあたって森山の著書を読み返すうちに、「記憶」とは何かをあらためて考えるなかで、今は曖昧な「記憶」は曖昧なまま寝かせておくことにした。
いずれにしても、大量の写真が、時間や空間の認識を溶かし、同時に、ある記憶や感覚、感情が驚くほど鮮明に立ち上がってくる体験だったことは確かに覚えている。東京もNYもブエノスアイレスも同等に、ただ人と「街」との普遍的な関係が「アレ・ブレ・ボケ」た粒子のなかに立ち現れる。写真を見ていると、ここがパリであることも忘れてしまうようだった。正確にはパリを忘れるのではなく、パリが新宿と同じようなひとつの「街」と感じる、という方が正しいだろう。
「アレ・ブレ・ボケ」とは、森山大道を語るときに真っ先に使用される表現だ。文字通り、モノクロームの写真はピントがブレて、人や物の輪郭がボケ、粒子が荒れている。今では森山のキャッチフレーズのようになっているが、遡ってみると「正確にきれいに再現する」ことが写真の目的であるという価値観をまず揺さぶったのは、1950年代の写真家たちだった。彼らは、路上で普通の人々や風景をありのままに撮影し、”スナップショット”という新しい写真の概念を提示した。
森山が若い頃に衝撃を受けたウィリアム・クラインは、その代表的存在で、1956年に『ニューヨーク』を刊行後、『ローマ』(59)、『モスクワ』(64)、『東京』(64)を発表し、今も後進に大きな影響を与えている。その後、森山とクラインは親交を結び、2012年には二人展『ウィリアム・クライン+森山大道』がロンドンのテートモダンで開催された。森山は、「あの衝撃的な写真集『NEW YORK』で思いっきり横っ面を張り倒されてぼくの写真人生が始まった」と語っている(以下引用は原文のまま)。
©Daido Moriyama Photo Foundation
──「展覧会より写真集を作る方が好き」とおっしゃっていますが、その理由は?
「写真集に限らず、写真は印刷されることを前提としたメディアであると考えているからです」
森山大道は、「写真は現実の複写でしかない」と語っている。
カメラという機械を通して誰でも何かを「写せてしまう」写真のあり方において、「本当なら、僕の写真からもⒸを外したいぐらい」と、その“オリジナリティ”を否定する。しかし、印画紙にプリントする段階で、違うレベルの“創作”が加わることもまた事実である。写真評論家の飯沢耕太郎は、森山の「グラフィックデザイン的能力の高さ」が作品の強さと生命力につながっていると考察している。
「撮影50%、暗室50%」という森山の言葉を引き合いに出し、「頭の中のイメージと実際に浮かび上がってくる画像とを、すり合わせながら合致させていくんです。そこが、抜群に巧みなんです」と飯沢は語る。森山はグラフィックデザイナー出身で、クラインもまた同じ経歴をもつ。言うまでもなく、優れたスナップショットが、単に「撮りっぱなし」のものではないことがわかる。
とはいえ、「写真は現実のコピー」という真意は別のレベルで森山の基本にあることに変わりはないだろう。彼が街中の映画のポスターや広告、人間のコピーであるマネキンなどを好んで撮影するのは、現実のなかにあるコピーを写真でリコピーする行為で、それによって不思議な“生命”が新たに生成してくるのだ。
ここで、森山の初の著作『犬の記憶』(1984)の書き出しを読んで、私が感じた驚きを記したい。文章はこう始まる。
「僕の兄の名は一道(かずみち)といった。数えの二歳で世を去っている。兄と僕とは双子である。むろん兄を憶えてはいない。兄を森山家のコピイだとするならば、僕は兄のリコピイである。兄の名の一の字に人の字が割って入って、僕は生きのびることになった」
これは私的な想像になるが、森山大道にとって人間の目を通した“現実”はそもそもすでに”コピーという現実”であって、それをリコピーである自分が写真でリコピーする、というイメージが浮かぶ。コピーされることによって、現実は揺さぶられ、無意識のなかであてどなく意味が拡張してゆく。
親の仕事の関係で転校が多く、友達ができなかった子ども時代の森山は、「学校をさぼって街へ出て、ショーウインドウを覗きまわってばかりいた」という。彼は、子どもの頃から変わらない自身の“生態”をこう語る。「映画館のスチールを見たり、ポスターや看板を眺めたり、ドブや道端を見ていたり。そういう時間が圧倒的にぼくには大きく楽しくて」、今はカメラを手に「印刷物や映像をコピー(撮影)するのも、ぼくにとってはそれが子どものころからの生々しい現実だからなんです」
Portfolio: DAIDO MORIYAMA
──「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」という言葉が好きな理由を教えてください。
「それはそう思っているから、としか言いようがありません」
このフレーズは、写真を通じて森山が感じた人生の「真相」と言ってもいいだろう。「かつてどこかで、ふとぼくの目にとまった読み人知らずの言葉である」という。この言葉についてではないが、それは、森山の文章に記された以下のような感覚に近いものなのではないかと想像する。
この言葉についてではないが、それは、森山の文章に記された以下のような感覚に近いものなのではないかと想像する。
「記憶とは過去をくりかえし再生するだけのものではなくて、かぎりなく打ちつづく現在(いま)、という分水嶺を境界線として、記憶が過去を想像し、さまざまな媒体を通過することで再構築されて、さらにそれが、来るべき未来のうえにも投影されていくという、かぎりなきサイクルのことではないだろうか」
気になるインタビューの全文は『10 Magazine Japan』2026年春夏最新号をぜひチェックして!
<< 最新号の購入はこちらから >>
DAIDO MORIYAMA
森山大道(もりやま だいどう)/1938年、大阪府生まれ。64年に写真家として独立。67年、日本写真批評家協会新人賞を受賞。68年、初の写真集『にっぽん劇場写真帖』を発表、中平卓馬に誘われ写真同人誌『プロヴォーク』に参加。72年写真集『写真よさようなら』、82年『光と影』刊行。99年のサンフランシスコ近代美術館の展覧会が2年間全米を巡回するなど、世界的な評価を確立。2019年ハッセルブラッド国際写真賞受賞。
参考文献:『犬の記憶』朝日新聞社(文庫本は河出書房新社)/『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』青弓社/『森山大道 路上スナップのススメ』光文社新書/ほぼ日「はじめての森山大道。/飯沢耕太郎さんに聞く、森山大道さんの『写真』について」https://www.1101.com/n/s/kotaro_iizawa
Text MITSUKO WATANABE



