デイム・ザンドラ・ローズ(Dame Zandra Rhodes)は、「イギリス名物」という表現がぴったりのデザイナーだ。ケント生まれの83歳の彼女は、町中をテクニカラー色に染めるというミッションを胸に孤軍奮闘するかのように、60年近くにわたってファッション界を牽引し続けてきた。そんな彼女の冒険は、自分の顔を鮮やかな色で彩ることからはじまった。
自身の名を冠したブランドの生ける体現者であるローズは、どこにいてもすぐにわかる。鮮やかなピンク色のボブヘアと、ブルーのアイシャドウとブラックのアイライナーで縁取られた目元、デカダンなキャンディーの箱を想起させる華やかなファッションは、まさに彼女のトレードマークだ。煌びやかなゴールドのカフタンやファンシーなフローラル模様、激しくぶつかり合うようなプリント柄はすべて、着飾ることへの愛着と、いつまでも愛され、身につけてもらえるようなものづくりに対する情熱を証明している。
そうした華やかさとはうらはらに、はじまりは慎ましやかなものだった。ローズは、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)の素材学部(専攻はテキスタイルデザイン)を卒業した数年後の1969年に自身のブランドを立ち上げた。「パンクのプリンセス」と称された、万華鏡のようにカラフルな彼女のデザインは、ファッション界に衝撃を与えた。批評家からは批判的な声が多かったにもかかわらず、ブランドは瞬く間にエリザベス・テイラーやシェール、ビアンカ・ジャガー、ジャクリーン・ケネディ、ディヴァイン、フレディ・マーキュリー、マルク・ボアンといった同世代のクリエイターたちを虜にした。その中には、世界でもっとも有名なふたりのダイアナもいた——ロスとウェールズ公妃だ。
「Medieval」コレクションのポスターのためにポーズをとるザンドラ・ローズ、1983年
2003年には、その才能を家具とファッションの保護活動に傾け、ロンドンにファッション・アンド・テキスタイル博物館(Fashion and Textile Museum)を設立。UKデザインの素晴らしさを発信し続けている。それだけでなく、ローズのデザインは記念切手(もちろん、速達郵便用)にも起用された。見る人を感化するローズの色への愛着が浸透していないところは、いまやほとんど存在しないと言ってもいいくらいだ。2014年にバッキンガム宮殿の敷居をまたぎ、アン王女から「デイム」[ナイトに相当する位を授かった女性の尊称]の称号を授かったときは(ローズは1973年にアン王女のウェディングドレスを手がけている)、私たちの期待を裏切らず、ラインストーンを散りばめた卵型のオブジェがのったゴージャスなヘッドピースをつけていた。
デザイン界の貴婦人は、色への愛着と自身を象徴するルックに出会うまでの道のり、さらにはアイデンティティの力について次のように語った。「母は、昔からドラマチックに着飾ったりメイクをしたりするのが好きな人でした。大きくカールさせた髪を立ち上げて、スプレーで銀色に染めていたのを覚えています。私がこんなにも色を愛しているのは、母の影響を受けたからだと思います。あの頃は、華やかな色は数えるほどしかありませんでした。そうした色が増えはじめたのは、1960年代になってからなんです」
1980年春夏コレクションのパゴダスリーブ・ドレスをまとったローズ/hat by Graham Smith, make-up by Richard Sharah. Archive portraits by Robyn Beeche
「自分の外見を受け入れられるようになったのは、20代半ばになってからだと思います。つけまつ毛を付けたり、アイシャドウを使って目元を強調するようになったのも、その頃からです。当時はMACのような素敵なコスメブランドはありませんでしたから、ウールワース[雑貨を扱うイギリスの小売チェーン]に行っては、いろんな色の化粧品を買い揃えていました」
「RCA在学中に——私が20〜21歳のことです——ヴィダル・サスーンが『サスーンカット』[幾何学的なラインが特徴的な、切りっぱなしのボブ]を発表しました。私も美容院に行って、同じ髪型にしてもらいました。それは人生屈指のドラマチックな経験で、ヘアカットの力を改めて実感しました。70年代前半にはヴィダル・サスーンから色付きのウィッグが発売されたので、さっそく買って被ってみたのですが、締め付けられているような感覚が苦手で……それなら、自分の髪を染めればいいんだ! とひらめいたのです。我ながらチャレンジングでしたね」
「当時のヘアカラー技術は、いまほど洗練されたものではありませんでした。そこで、自分で色を作って染めることにしました——私はテキスタイルデザイナーですから。思い切ってグリーンに挑戦しても、決まって古いエンドウ豆のような変な色に染まったのを覚えています。試行錯誤の末にレオナルド・オブ・メイフェア[1960年代に活躍したイギリスの美容師、本名レオナルド・ルイス]のところに行き、ピンポイントでパープルに染めてもらいました。それからしばらくして、1980年代に中国旅行から帰ってから『中国の国旗みたいに真っ赤に染めてほしい』と依頼したんです。でも、結果はピンク色でした。私のピンクヘアは、こうして誕生したのです。それ以来、ピンク一筋です——と言いたいところですが、1回だけ例外がありました。保守的なボーイフレンドと付き合っていたときに茶色に染めました。でも、あまりに退屈で——誰も、自分だとわかってくれないんです。私は、自分のピンクヘアが好きです。この髪型のおかげで、自分自身でいられるような気がします。アイデンティティに関連することの多くは、自分が心地よいと感じたり、明るい気分にしてくれるものと密接に関わっています。私たちは、そうしたものを通じて自分自身を表現しているのです。私にとっては、まさにそれが自分のアイデンティティなんです」
ローズは1960年代から大胆なメイクをするようになった
「5分もあれば、フルメイクができます。まずは石鹸と水で顔を洗い、タオルで拭きます。メイクをするときのタオルは黒と決めています。メイクが付いても気になりませんから。ブラックのアイブロウペンシルをアイライナー代わりにして目元を強調し、お気に入りのブルーのアイライナー[MACのカラー エクセス ジェル ペンシルのパーペチュアル ショック]でまぶたの輪郭をなぞり、MACのブルーのアイシャドウを重ねます。日中はリップスティックをあまりつけていません。その代わり、リップクリームを塗っています。これが私のルーティンです」
「何年も前に眉毛を全部抜いてしまったので、地眉は1本もありません。おかげで、もじゃもじゃの毛虫風眉毛やグリーンのグリッターを散りばめたキラキラ眉毛など、いろんな眉毛に挑戦してきました。一度、[メキシコの画家の]フリーダ・カーロのように、1本につなげたこともあります。最近では、顔のパーツの中で眉毛がもっとも重要だと言われるようになりましたが、不思議な気分ですね。私はいまでも地下鉄を利用するのですが、つけまつ毛を付けている女性を見ると嬉しくなります。私も昔は毎日付けていて、また付けてみるのもいいかもしれませんね……」
「私たちが生きるうえでひとつの役を演じているのだとしたら、自分を象徴するルックは常に自分について周り、良いときも悪いときも自分を支えてくれます。どんなに落ち込んでいても、シグネチャーメイクをすることで自分を見失わずにすみます。特に歳を重ねるにつれて、こうしたことはますます重要になります。そうすることで、世界と自分とのつながりを保持しようとしているのです。私は、自分にできる方法でそうしています。仮にメイクに何時間もかかるようでしたら、とても無理だったと思います。いつもほかにやらなければいけないことに追われているので。でも、フルメイクでないときは、プロフェッショナルとしてその日を乗り越えられないような気がします。たくさんの色をメイクに取り入れたがらない人もいますが、私はそうすることでハッピーな気持ちで1日を送れるのです」
10+ 6号「VISIONARY, WOMEN, REVOLUTION」掲載記事