エルメスのアーティスティック・ディレクター、ナデージュ・ヴァンヘが描き出す、服作りの哲学と未来

乗馬文化と職人技への深い理解から紡がれる、エルメスの服づくり。レディスプレタポルテ部門のアーティスティック・ディレクター、ナデージュ・ヴァンヘが追求するのは、未来のラグジュアリー。時代を超えるモジュラリティという彼女の哲学に迫った。

レギンス ブーツ/HERMÈS

「乗馬はしないのですが─」と前置きしてから、エルメスのレディスプレタポルテ部門のアーティスティック・ディレクターを務めるナデージュ・ヴァンヘはこう続けた。「乗馬の文化は大好きです」。そんな彼女は、文明の発展に大きく貢献した人と馬との関わりを学ぶうちにエルメスの鞍づくりの虜になった。人々から絶賛されるエルメスのウェアの唯一無二のフィット感は、鞍づくりに対する自身の愛着から生まれるとヴァンヘは言う。

「鞍づくりには、私たちの想像をはるかに超えた技術と知識が注ぎ込まれています。そのことを知り、服をデザインするアプローチも変わりました」と彼女は語る。「ファッションデザインでは動きやすさが重視されがちですが、安定性(心地よさ)も重要です。動いたときに生地がすべり落ちるようではいけません」。

ロングジレ ニットドレス プルオーバー ニット ブーツ/HERMÈS

2025年秋冬コレクションを制作するにあたり、ヴァンヘはエルメスの伝統である乗馬の世界をさらに掘り下げた。馬術競技場を連想させる円形のランウェイを舞台に、優れた機能性とラグジュアリーを両立させたコレクションが披露された。なかでも目を引いたのは、馬着にヒントを得たブランケットコートと、レザーとフェルトの対照的な質感が楽しめるリバーシブル仕様のアウターだ。それらは彼女のデザイン哲学に刻まれている、エルメスのクラフツマンシップにしか生み出せないモジュラーで変幻自在なデザインを体現していた。

コート ニット/HERMÈS

力強さと遊び心を兼ね備えたヴァンへの新作は、彼女自身のエネルギーに加えて、服本来の目的と現代の女性像を映し出している。ヴァンへが思い描く女性は「服に着られること」を好まない。これについて彼女は「現代女性のニーズは十人十色です。そこで重要になってくるのが機能性と適応力。人生には変化がつきものですから。私自身、モジュラリティは時代を超えると思っています」と語る。さらには、デザインの鍵を握る要素は「動き」であると指摘し、「ラグジュアリーの本質は制御することではなく、もっと自由であるべき」と語った。

ジャケット ニット パンツ リング ブーツ/HERMÈS

「こうした考えは、私のアプローチにもともと備わっているものだと思います。人に命令されるのは好きではありません。それよりも、人々をより自分らしい表現へと導いていくことが好きです。私自身、子供の頃は親に指図されるのが苦手でした。そういうところは、いまも変わっていませんけどね」。

そんな彼女は、自分自身が定めたルールに忠実だ。「具体的には、柔軟な思考を持つことです」と言い、座右の銘は「自分自身を尊重すること」と補足した。

ニット ベルトが一体化したスカート リング〈両手〉/HERMÈS

ロンドン中心部のメイフェア地区にあるエルメスのショールームには、ヴァンヘの前向きな精神を感じさせる新作が所狭しと並べられていた。

オーバーサイズシャツにレザーパンツを合わせた彼女は、 2025年秋冬コレクションの「第2章」として今年の6月に上海で披露されたコレクションについて熱を込めて語ってくれた。レザーライニングをあしらったデニムやキルティングが施されたレザーのショートパンツ、クロップド丈のレザーのフレアパンツ、レザーとウールのドレス、シルクのボンバージャケットなど、どれも日常に深く根を下ろしたアイテムばかりだ。

「リアリティはとても重要です。もちろん、ファッションにおけるストーリーテリングの要素も大好きですが、日常生活で着られてランウェイにも出られる服づくりにやりがいを感じます」とヴァンヘは言った。

その際、何通りにも着られる服をデザインすることはきわめて重要だと考える。ヴァンヘは数シーズン前からモジュラリティというコンセプトを探求しはじめ、ドレスからアウターへ、さらにはバンドゥがクロップドトップへと姿を変えるニットアイテムを制作した。それ以来、モジュラリティは作品づくりに欠かせない要素になっている。「第2章」ではこのコンセプトをさらに突き詰め、それ自体がアウターとして使える取り外し可能なライナー付きコートや、ボタンの留め方を替えるだけでさまざまなシルエットが楽しめるポンチョなどを制作した。

ジャケット ニット パンツ ブーツ/HERMÈS

ヴァンへの創作プロセスの原動力は好奇心だ。ひとつのアイデアが形になるまでは試行錯誤を繰り返す。

「デザインとものづくりには時間をかけます」と彼女は語る。いちばん好きな素材はレザーだという。「いろいろな形に姿を変えられる柔軟性が気に入っています。技術や手仕事を披露する素材としてこれ以上のものはありませんし、スポーティなパーカーからセクシーなドレスまで、ありとあらゆるアイテムに使える万能さが素晴らしいと思います」。レザーに加えて、シルクとウールはヴァンヘが手がけるエルメスのコレクションの中核を担う素材だ。「こうした素材は自然とのつながりを常に感じさせてくれますし、天然素材本来の美しさに対して敬意を抱かせてくれます。それをさらに美しいものへと昇華させられるのが、エルメスのクラフツマンシップなのです」。

ジャケット ニット パンツ ブーツ/HERMÈS

ヴァンヘが具現化する「美」は、ラグジュアリーと聞いて私たちが想像するような抽象的な概念ではない。エルメスで働く人々について尋ねると、彼女は「好奇心、そして独創的で本物であることへの強い探求心を持っています。こうしたものがエルメスに個性と目的を与えてくれます」と答えた。エルメスというトップブランドが常に自らを再定義しながらエネルギーに満ちた商品提案ができるのも、そのおかげなのだ。「エルメスの商品が時代を超えて愛される理由は信頼できるから─まるで親友のように共に人生を歩んでくれるからです」とヴァンヘは続けた。

エルメスの商品のこうした魅力を支えているのがクラフツマンシップだ。その担い手である職人たちとの絆はかけがえのないものだとヴァンヘは語る。その一方で、時代やニーズに合わせて変化できる柔軟性もある。「思い描いていた結果と現実が違うときは、想像力を働かせて解決策を見つけます」とヴァンヘは語る。

ニット スカート リング ブーツ/HERMÈS

北部のスクランという町で生まれたヴァンヘは、マルタン・マルジェラやハイダー・アッカーマンを輩出したアントワープ王立芸術アカデミーで研鑽を積んだ。卒業後はセリーヌ、メゾン マルジェラ、ザ・ロウを経て、2014年にエルメスのレディスプレタポルテ部門のアーティスティック・ディレクターに抜擢された。クリストフ・ルメールやジャン = ポール・ゴルチエ、マルタン・マルジェラといった歴代アーティスティック・ディレクターたちがそれぞれの個性を生かしながらエルメスの発展に貢献したことを指摘すると、「エルメスというブランドのデザイアビリティを揺るぎないものにしたいです」と語った。

その前向きなアプローチは、アーカイブとの向き合い方にもよく表れている。いまから百年前の1925年、エルメスから初のレディ・トゥ・ウェアが誕生した。それは驚くほどモダンな、スエードのピーコートだった。ヴァンヘはこのコートにヒントを得て、アーカイブに保管されていた100年前のレディスウェア18点を「現代の形態学」にもとづいて再解釈。

「フィル ルージュ」と銘打った復刻プロジェクトを展開した。彼女にとってアーカイブは決して過去のものではない。それは未来の可能性を秘めたものであり、「いまの人たちは何を求めているのか?」と考えるためのきっかけを与えてくれるものだ。伝統に裏打ちされたクリエイティビティを注ぎ込み、現代人が美しいと思えるものをつくる。それがエルメス流儀なのだ。エルメスの商品が時代を超えて愛される理由は信頼できるからまるで親友のように共に人生を歩んでくれるからです。

Photographer ADAMA JALLOH
Creative Director SOPHIA NEOPHITOU
Fashion Editor GARTH ALLDAY SPENCER
Text CLAUDIA CROFT

Model EMILY STURGESS at Next Management
Hair ABRA KENNEDY at One Represents
Make-up FEY-CARLA ADEDIJI
Photographer’s assistants ORAN EGGERTON, TAMIBE BOURDANNE and JOSHUA ONABOWU
Fashion assistant SAYWA AKAKANDELWA
Casting NICO CARMANDAYE at Concorde Casting
Production ZAC APOSTOLOU and SONYA MAZURYK
Translator SHOKO NATORI

Special thanks to ZANA KARLA GREENWOOD, JORDAN PALMER, ANN SMILES and KARL GREENWOOD