インダストリアルな建物の一隅にあるアロ・アーカイブ(Aro Archive)に一歩足を踏み入れると、ダルストンを貫くキングスランド・ハイストリートの喧騒とはまったくの別世界が待っている。コンクリートを基調としたこの空間において一際目を引くのは、磔刑のキリストのようなメッシュのマネキン。ラックにかけられた服がシルバーからホワイト、クリーム、そしてフューシャピンクへと移ろい、鮮やかなレッドやシャープなオレンジといったポップな色調へと変化する。ここにあるヴィンテージ作品は、1万2000点を超える。専門は、ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)、イッセイミヤケ(Issey Miyake)、コムデギャルソン(Comme des Garçons)、ヘルムート ラング(Helmut Lang)、メゾン マルジェラ(Maison Margiela)、ラフ シモンズ(Raf Simons)、アン ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)、ジャンポール・ゴルチエ(John Paul Gaultier)といったデザイナーズブランドだ。
「アーカイブというものは、その人の性格や好み、家族の歴史の蓄積なのです」と、アロ・アーカイブのオーナーのアリアナ・ワイアタ・シーハンは語る。アロ・アーカイブの前身は、シーハンの母ホアナ・ポーランドがカムデン・マーケットのガード下で開いた露店。1989年当時、まだ「ホアナの店」としてしか知られていなかったこの店は、2002年まで営業を続けた。シーハンの母は、フリーマーケットや同業者の店を巡っては商品をセレクトし、店頭に並べたという。「当時の服のほとんどが、クラブ好きだった母の人生を反映しています。90年代の母は、屋外レイヴパーティーでサウンドシステムを扱ったりしていましたから——まさに、このような蛍光オレンジの安全ベストを着ていたのです」とシーハンはベストを指さし、次のように続けた。「ここにあるアーカイブ作品がどれも違っている理由は、そこにあるんです。母は、露店のテーブルの下にベビーカーを置き、子守りをしながら働いていたそうです」
「13歳から母と一緒に買い付けをしています。それ以外のことには興味がなかったので」とシーハンは語る。いまやアロ・アーカイブは11名のスタッフを擁する企業へと成長し、主に日本やフランス、ベルギー、イギリスのデザイナーズブランドを扱っている。アリアナたちが「アーカイブ」と呼ぶ作品のディレクションには、ひとりひとりのスタッフのビジョンが落とし込まれている。1880年代から今日に至るまでのワークウェアからテーラーメイドといった幅広いアイテムや、デザイン性が高いながらもウェアラブルなデザイナーズアイテムを豊富に取り揃えていることに加えて、メゾンや博物館、さらには教育機関を対象に作品の貸し出しも行う。どれも非売品だが、ユーズドファッションに特化したショップも展開している。ショップでは、貴重なセールが終わったばかりだ。「露店で最初に売った、“まともな”ファッションアイテムのことをいまでも覚えています。確か、ゲス(Guess)のデニムやベルト、バッグだったはず——卸売業者から大きな箱いっぱいにこうしたアイテムを仕入れてきたんです」とシーハンは回想した。「デザイナーズブランドのリセールという意味では、あれが私たちの出発点でした」
五感に訴えると同時に、オーナーの愛着が伝わってくるコレクション——ひとつひとつのアーカイブ作品にはシミが付いていたり、肘の部分が擦り切れていたりする——を展開するアロ・アーカイブは、白い手袋で作品を取り扱う堅苦しい施設の一歩先を行く存在だ。ここを訪れる人は、間近でその魅力に触れられるだけでなく、実際に着てみることでひとつひとつの作品のエネルギーを感じ、デザイナーの世界観に浸ることができる。「アロ・アーカイブは、アクティブなリソースです。ここには暗証番号で守られたものもなければ、ビニールに包まれたものもありません。私たちは常にアーカイブ作品を梱包し、世界各地のデザイナーや展覧会、アトリエに発送しています」と語るのは、アーカイブ・マネージャーを務めるジョセフ・オブライエン。「作品が忘れられて埃をかぶるようなことは、絶対に避けなければいけません。こうした作品を常に好奇心をもって取り扱うことは、とても大切なことなのです」
「服は、着なければ劣化します。多くの施設が保管を謳いながら、ただ服を放置していることに正直呆れています」とシーハンは言い、次のように続けた。「命をもたない服は、やがて朽ち果ててしまうでしょう。なんとも悲しいことです!」。シーハンとオブライエンは、常にアーカイブのことを考えている。アロ・アーカイブの全作品を網羅した目録を作成するには、4年という歳月と膨大な人数が必要だということも、最近になってわかった。
アロ・アーカイブ自体も、独自の変化を遂げてきた。前身となった露店は、ヴィンテージ品が買える場所として瞬く間に人気を博した。その後、ボンデージに身を包んだバービー人形とケン人形が飾られた天井が露店のトレードマークとなり、ボーイ・ジョージやアダム・アント、スカンク・アナンシー、ファットボーイ・スリム、ノエル・フィールディング、ロザンナ・アークエットといった著名人が顧客に名を連ねるようになった。一度は、ピート・ドハーティに店を破壊されたことがあるそうだ。聞いたところによると、ドハーティの世話役が弁償をした。親娘は、シーハンの義父の支援を得て、2008年にストークニューイントンに実店舗をオープンした。それが、紫色のファサードが目印のストラット(Strut)だ。「あの頃は、なにもかもが昔風でした。店内のありとあらゆる場所に服を陳列していました。窓や壁、椅子、レジ裏など……。スペースさえあれば、服で埋めていましたね」。売りたいものを手に、客が次から次へと店に来るようになった。「ラグジュアリーブランドのユーズド品のことはなにも知らなくて——あるとき、女性がヨウジ[ヤマモト]のコートを持ってきてくれたんです」とシーハンは振り返る。「80年代に買ったものだと教えてもらいました。母も私も、一目で好きになりました。サイズもぴったりでした。それを機に、日本人デザイナーに興味を持ちはじめたんです。いろんな店を訪ね回っては、古着を集めました。あの頃は、驚くほど安かったんです。ヨウジのオーバーサイズのラバーのレインコートが250ポンドで買えました。同じものは、オーストラリアのヴィンテージショップ以外で見たことがありません」
ふたりはアーカイブファッションというコンセプトに魅了され、かろうじてラック2本分の日本のヴィンテージ品が揃った。だが、売るつもりはなかった。それくらい愛着があったのだ。日本のデザイナーズブランドへとシフトしていた頃、シーハンはブロードウェイ・マーケットに空き店舗を見つけ、マリークヮント(MARY QUANT)のショップの什器やステッカー、発泡スチロールを使って新たな息吹を吹き込んだ。商品を貸し出してほしいと、デザイナーやスタイリスト、学生といった顧客がひっきりなしに訪れた。「1年間は、品数を多く見せるためにあの手この手を使いました」とシーハンは言う。アーカイブは成長し、メア・ストリートに新店舗をオープンした。「2本のラックで10人の顧客に対応していました——本当はもっとあるけれど、リース中ということにして。実際に裏返したり、別の店舗の商品を持ってきたり、とにかく頭を使いましたね」。収益が上がるにつれて、2本だったラックは5年後には12本に増え、4年前には現在のダルストンに居を構えるまでになった。それ以来、アロ・アーカイブは展覧会を開催したり、アーカイブ作品を中心としたファッション映画のプロデュースなどを手がけてきた。スペシャルプロジェクト部門の責任者を務めるジョゼフ・ディレイニーがメガホンを取った短編映画『Yohji Yamamoto 1983-2016』や、レイヴカルチャーの制御不能な自己表現に異を唱えた映像作品『Do You Know What You’re Here For?!』は、その最たる例だ。ラフ・シモンズの作品にスポットを当てた「Calling All Raf Fans」というプロジェクトなどを進行し、「Aro Discord」チャンネルも、常に話題性を生み出している。
ひとつひとつのアーカイブ作品は、デザイナーのキャリアをたどらせてくれる。トレードマークともいうべきシルエットの誕生や、テーラーリングにおける天才的なひらめき、機能性の進化形や欠乏など、ひとつひとつの転換が浮き彫りになるのだ。過剰消費と絶え間なく変わるトレンドが支配する現代——アルゴリズムが従来のトレンド予測に返報し、多くのヘリテージブランドが若い世代の好みに合わせようと奮闘するこの時代においても、進歩のカギは過去への眼差しにあるのかもしれない。
オブライエンがボディマップ(BODY MAP)のくたびれた黄色いジャケットを見せてくれた。ワックスコットン製のジャケットは、リー・バウリー(80年代にロンドンのクラブシーンを席巻したパフォーマンスアーティスト)風というよりは、灯台守が着ているジャケットのようだ。特徴的なプリントとパフォーマティブな形によって一世を風靡した80年代の英国ブランド、ボディマップのスタイルとはかけ離れているように思える。「いったい誰が、どのような目的でこれを着ていたのでしょうね」とオブライエンは問いかけ、さらに続けた。「レイヴパーティーのため? それとも船に乗っていたのでしょうか。犬の散歩をしていたのでしょうか。私たちは、“その前の人生”のある服が好きなんです」。その言葉どおり、アーカイブファッションを掘り下げることは、インスピレーションや新たな発見へと導いてくれる。
「eBayで見つけました。自動車の部品を売っている人から買ったんです」と、ジャケットを指してシーハンが言った。「ボディマップというブランドの意外な一面を見せてくれるだけでなく、私たちのワークウェアと好相性なのが気に入っています」。シーハンは、毎日何時間もeBay をチェックするという。「貴重なヴィンテージ品の多くは、ポケモンカードや焼き物を売っている人のところで見つかるんです。こうした人たちが出品しているものをチェックしていると、ダニエル プール(Daniel Poole)のような掘り出し物にお目にかかることもあります」
「デクスター ウォン(Dexter Wong)のアイテムと一緒に、スマホの充電器を買わされることもありますね」とオブライエンが言い添えた。ハンガーにかかったままのジャケット——ビニールのところにシミがある——をくるりと回転させる。そして、スーツやジャケット、ストーンアイランド(Stone Island)のコート、ヘリテージバッジに彩られたカーキや迷彩柄のアウターでいっぱいのラックに戻した。
ストーリーというものは、強力なツールだ。アロ・アーカイブは、デザイナーを通してこうしたストーリーを紡ぐ“線”を見出している。ここにあるのは、力と機能を称えるタイムレスな服ばかりだ。それは、ジェンダーという概念に挑むと同時にそれを打ち消し、あらゆる体型に寄り添い、ヘリテージを育む。そのいっぽうで、ルールと期待という概念を超えて進化し続ける。
「デザイナーたちは忍耐強く、仕事に情熱を注いでいます。多くの人は、ヨウジの新しい作品を鼻で笑いますが、そこには常に大胆なメッセージとクラフツマンシップが注ぎ込まれています」とシーハンは言い、さらに続けた。「私は、労働者階級の家庭で成長したので、ストーンアイランドが大好きです。ジャケットは、まさにこのブランドを象徴するアイテムですね。自分の好みを誰よりも強く信じていなければ、このようなジャケットはつくれません」
アロ・アーカイブは、楽しみながら不遜な態度を貫いてきた。そうした態度は、エリート意識の強い真面目なレンズを通して見られることの多いこの業界において新鮮に感じられる。「ギャルソンが大好きです。実用的だけど、ばかばかしいところに惹かれます」とオブライエンは言う。アロ・アーカイブの一員になる前は、刺繍職人をしていたそうだ。「ばかばかしさの背後には、天才性が隠れているのです。川久保玲も、ヨウジも、パターンの天才です。彼らの抽象的な表現やユーモアが大好きなんです。完全なる幻想の世界を築き上げた90年代のランウェイを思い出してください。それは驚くほど遊び心にあふれていながら、文化を変えるほどの力を持っていました」
アロ・アーカイブは、自身のルーツに忠実なデザイナーを中心に成り立っている。それは、シーハンと彼女のファミリービジネスにもいえることだ。「アイデンティティを守りつつ、考え直し、改めてパーパスを問うことなのです」とオブライエンは言う。「こうしたアプローチは、とてもヨウジやイッセイ的ですね」。デザイナーとアロ・アーカイブとの関係性も共生的だ。たとえば、デザイナーの山本耀司は2度倒産の憂き目にあい、アーカイブを失った。そのとき、山本のチームがアロ・アーカイブと交渉し、失われた4点のアーカイブ作品を譲り受けたという。シーハンは「あのとき私は、『私たちが山本耀司というデザイナーよりも愛しているものがあるとすれば、それは彼がデザインした服です』と言いました。アロ・アーカイブの存在理由は、服を集め、未来につなげることです」と語った。
こうしたアーカイブは、さまざまなサンプルを集めた、次世代デザイナーのための“シャーレ”のようなものである。「アーカイブを所有する以上、人々に教え、インスピレーションを与える責任があります」とシーハンは語る。「私たちは、ジャンルの垣根を超えて人々を結びつけるためにいるのです。従来のアーカイブや博物館は、ともすれば遠い存在のように感じられます。ハックニーの子どもたちには、ファッション界の裕福なエリートと同様に、こうしたアーカイブファッションに触れる権利があります」
アロ・アーカイブの特定のコレクションに突如として注目が集まることは、この業界の“つぼ”を反映しているのかもしれない。「確かに、ジグソーパズルのような側面はあります」とオブライエンは認め、次のように続けた。「たとえば、3人から同時に同じアイテムの貸し出しを希望されたり、デザイナーの特定の時期に対する関心が高まったりなど、いろんなフェーズがあるのです」。イッセイミヤケのデザイナーである三宅一生が2022年に他界したことを受け、今後2年間はイッセイのアーカイブ作品が市場に多く出回るとみられる2年というタイミングについてシーハンは、「人々が自分の持っているものを手放す覚悟ができる時期」と指摘した。記憶として触れられる服は、きわめてパーソナルなものだ。「アロ・アーカイブに服を持ってくる人の多くは、それに関するストーリーを語ったうえで、私たちに買い取らせてくれます」とシーハンは言う。「そうしたストーリーをデザイナー自身のストーリーに重ねて共有できることは、とても特別なことなのです」
アロ・アーカイブにとってコミュニティは、生命を支える動脈のようなものだ。「しかるべきタイミングでしかるべき人と出会うことの連続でした」とシーハンは言い、「すべては、母が業者の人たちと築いた関係性に根ざしているのです」と続けた。そう言いながら、ロンドンの老舗ヴィンテージショップ、レリック(Rellik)の共同創設者スティーブン・フィリップを師と呼んだ。ふたりは、バッグいっぱいの(ジョン・)ガリアーノや(ヴィヴィアン・)ウエストウッドの服をヨウジやCコムデギャルソンと物々交換をした仲なのだ。「世間的には、アーカイブファッションもファッション事業のひとつに過ぎませんが……」とオブライエンは口を開き、「私たちがやっているのは、ファミリービジネスなんです」と言った。
シーハンの夢は、「メゾンのように」この事業を営んでいくことだという。具体的には、ブランドとして長く存続しながらも、教育機関としての役割を果たすことだ。「人による、人のためのアロ・インスティテュートですね」と期待を膨らませる。
数年前にアロ・アーカイブは、クレア・バロウやリアム・ホッジス、エド・マーラーといった新進気鋭のデザイナーがアーカイブを活用し、自分たちの作品を販売するための場としてスペースを提供した。「目指すところは、ヴィンテージファッションを扱う世界初の百貨店・教育機関・デザインインキュベーターです」とシーハンは語る。アーカイブとリセールカルチャーというコンテンポラリーな世界が多様化し、その意味が変化しても、両者の境界線があいまいになることでアロ・アーカイブはますます活性化していくだろう。「若い人たちがヴィンテージファッションに詳しくなるのは、素晴らしいことだと思います。より多くの人がこうした活動に参加すればするほど、コミュニティ全体が良くなるのですから」とシーハンは言う。対するオブライエンは「“ベッドルーム・アーカイブ”なるものは、見向きもされないかもしれませんが、それは壮大な食物連鎖の一部なんです。ときには、個性がアーカイブに勝ることもあります。たとえば、ハインツ(Heinz)のベイクドビーンズの缶詰のラベルを全部集めていて、あらゆる時代のフォントを熟知している人がいるとしましょう。とても興味深い人だと思いませんか? 私たちは、アーカイブという概念を解放したいのです」。そう語るオブライエンを、男根をモチーフにした彫刻作品(シーハンが個人的にコレクションしているもので、あらゆる形や素材を使ったものが20点ほどある)が見守る。
2023年9月、ショーディッチにアロ・アーカイブのスペースが新たにオープンする。アーカイブとカフェ、さらにはアパレルと雑貨を扱うショップを備えた空間は、まさに“聖域”と呼ぶにふさわしい。2024年には、パリ進出も予定している。アロ・アーカイブのクライアントの大半はヨーロッパを拠点としているため、これは前向きなチャレンジである。「まったく新しい血をもたらすことになるでしょう」とシーハンは語る。「パリは真っ白で埃っぽいイメージ——辛くて熱いものが必要です。アロ・アーカイブは、そのためのとっておきのスパイスになるでしょう」
Photography by Jason Lloyd-Evans.
10 Magazine 71号「FASHION, ICON, DEVOTEE」掲載記事