国内外で開催されるイベントでメディアやデザイナーからも注目を集める、DJのマドモアゼル・ユリア。きものスタイリストとしても活躍し、「着物に託された“自由さ”によって豊かさが育まれていく」と語る彼女が、自身の出身地であり、世界中のクリエイターたちを魅了する、日々新たな文化やアイデアが生まれている現在の“東京”について、10 マガジンだけに特別な想いを語ってくれた。
「私にとっての東京は、カオスな街。多様な人や文化があちこちで入り交じっているそのカオス感が、好きな東京の姿です。東京はいろんなカルチャーが息づく街ですし、ご飯も美味しい。世界中の人を引き寄せる魅力があるから、出会いもたくさんある。ファッションや音楽界の憧れの人々にも、実は初めて会ったのは東京だった、なんてことも多いんです」と、マドモアゼル・ユリア。
最新のスタイルで海外コレクションに参加し、ファッションアイコンとして国内外のメディアやデザイナーからも注目を集める彼女だが、着付け師である母親の影響や、大人になってから通い直した京都芸術大学で「和の伝統文化」を学んだことを機に日本の伝統衣装である着物の魅力に目覚め、現在ではきものスタイリストとしても活動をする。
「洋服にはデザイナーがいて、立体裁断でパターンを元に縫製するので着た時のシルエットが決まっているけれど、着物は平面で江戸時代から形はほぼ一定。身体に添わせて着るものなので、着付け次第でシルエットを変えられるんです。体型の欠点も補えるし、裾すぼまりに着付けるとかちょっとした事で印象は全然変わります。それから、着物と帯だけでなく帯揚げ、帯締め、半衿といった小物を組み合わせて初めて衣服として成り立つのですが、その組み合わせは自分次第なので、デザイナーになったような気持ちで選べるというのも魅力です」。
この日は、単衣の薄手の着物に船の帯、そこに渦巻きや水の紋を合わせた涼しげな出で立ちで登場。「1つ1つを、その人のセンスで選んでいい。着る人のパーソナリティーが表れるんですよ」
彼女が特に好むアンティークの着物には、遊び心のある柄や色合いのものが多い。かつての日本人にとって着物は日常着、普段のおしゃれを着物で楽しんでいたからこそ、色や柄のパターンが豊富だったのだと言う。マドモアゼル・ユリア自身にとっても、着物は特別な日のための正装ではなく、普段のワードローブの一部としてすっかり定着している。着物が日常的な存在になったことで、自分の中にも大きな変化が訪れたそうだ。
「着物は、季節を少し先取りをした柄を選ぶのが良いといわれています。でもずっと東京で暮らしてきた私は、草花にほとんど触れる機会なく過ごしてきました。外にどんな花が咲いているのかを意識せずにいたけど、それだとどんな柄を選んだら良いか分からない……。まずは草花や鳥、動物だったり、着物に描かれている自然の景色や歳時記を知ることから始めました。
実際に外に出て、繊細な四季の変化を意識するにつれ、だんだんと自分の心が豊かになっていくように感じたんです。お茶やお花と同じように、着物も日本の風土や自然に大きく関係していて、生活と日本人が培ってきた美意識に深く結びついているもの。だから、着物を着るということは文化そのものを纏ってるということに繋がるんです」
10代でDJとして活動を始めて以降世界各地のイベントで引っ張りだこの彼女だが、近年では着物でDJを依頼されることも増えたと言う。2024年にはカンヌ映画祭で久々の開催となったジャパンナイトのDJという大役に、振袖姿で挑んだ。
「DJとなると、大事なのは見た目より音。着物はあくまでプラスアルファの要素ですが、でも会場のお客さんたちが踊ってる内に『あれ、着物でDJしてる!』って気づいて、ブース前に来てくれて写真を撮ったり。着物を着ていることで喜んでもらえる場面はすごくあります」。
場とオーディエンスの空気感を読み、求められる曲をかけるDJの感覚は、着物選びにも生きていると言う。
「その場に自分がどういう立場で参加するのかを考えます。盛り上がり重視の日は楽しいスタイリングにしたり、自分があまり目立たない方がいい時なら控えめに。カンヌでは、音楽担当らしく太鼓や笙など、雅楽の楽器が描かれたものを選びました。自分のその場での立場や場所の雰囲気を考えた上で、1番しっくりくるけど自分らしさや遊びを必ずどこかに入れるスタイリングを心がけています」
東京で生まれ育ち、原宿カルチャーを最前線で体感してきた彼女。思春期の思い出の多くは、2000年代頭の渋谷・原宿が舞台だ。「今はもうないけれど、学校帰りにモントークに行ってお茶したり、渋谷にあった児童会館ではよくバンドの練習をしていました。その頃はストリートスナップ全盛期だったので、神宮前の交差点のあたりにはファッション好きな子がたくさんいて、特に待ち合わせをせずとも行けば必ず誰かに会えたんです」と振り返る。
当時はまだ大規模な都市開発が始まる前。刻々と変化を続ける東京から”あるもの”が消えたと言う。
「今は道のギリギリまで建物が建っていて、街の作り方に隙間がなくなってきたように感じます。昔は街に”余白”みたいな部分があって、そこで勝手に遊ぶことが許されていましたよね。ギャルやゴスロリの子が溜まれる場所があって、カルチャーを原宿のあちこちで感じることができた。日本人は、“余白”を生かすのが上手なんだと思います。着物だって、着方が着る人に委ねられる自由さはある種の“余白”ですよね。そういう部分に強く惹かれるのだと思います」
Profile
マドモアゼル・ユリア
東京都出身。10代でDJデビュー。以降、国内外のイベントや音楽シーンで活躍。現在では、大学や着付師である母親や祖母から学んだ知識、ファッションや音楽の世界で培ってきた経験や感覚を元にきものスタイリストとしても活動するほか、着付け教室を主宰。英国ヴィクトリア・アルバート博物館で2020年~21年にわたって開催された着物をテーマにした大規模展覧会「Kimono Kyoto to Catwalk」のキービジュアルのスタイリングを担当した。著書に『おとなの半幅帯結びコーディネートブック』。
Photographer YUJI WATANABE
Text TOMOMI HATA
Sittings Editors SAORI MASUDA and TOMOMI HATA
Digital Editor MIKA MUKAIYAMA