国内外で絶大な人気を誇る作家・川上未映子が彼女らしい独自の視点で、世界における新たな創造の中心地として急速に進化している現在の“東京”について、10 マガジンだけに特別な想いを語ってくれた。
芥川賞作家・川上未映子は、デビュー以来女性の妊娠や出産・生理といった身体性を自在に表現する作家として高い評価を受け、多くの読者に支持されてきた。傑作長編『夏物語』の主人公は大阪の下町出身、東京在住の作家だが、川上自身も大阪に生まれ、現在は東京・世田谷を拠点に創作活動を続ける。
「東京って一枚岩じゃないと感じますね。私は住宅地に住んでいて、都心の繁華街にもそれほど行かないのですが、例えば年齢や経済力によっても東京の映り方は違うと思います。若くて体力のある20~30代までは楽しい街かもしれないし、でも、つらい人にとっては非情なまでに過酷。もう逃げ出したいと思う人もいると思う。さらに、お金があればなんとでもなるという意味では、怠惰な街だな、とも思います」
興味深いことに、作家としては「土地には影響を受けない」のだという。「執筆はどこでも出来るので、東京じゃないといけない理由はないんですよね。じゃあ、東京の何が気に入って住んでいるのかといえばわからないんですけれど、今は、テンションが合っているのかな。自覚も意思もなく、能動的な選択でもない。ただ、人と人が同じ場所を共有することによって生まれる仕事のエネルギーというものがあるので、そういう意味では東京はチャンスが多いのだと思います。情報からポジティブな影響を受けてアウトプットを楽しめる人には、最高な街ですよね。
私は、ほとんど、土地に影響を受けないんです。パミール高原を訪れた時も、記憶はあっても内面的な変化がないんです。世田谷にいるのと同じなんです。ある本で読んだのですが、乗り物で移動するのと、自分の体を直接的に使い、遠近感を体感しながら移動するのとでは全く違う体験なのだ、と。でも、歩いている分には同じ。この話を知ってから自分が旅に触発されない理由が納得がいった気がします。世田谷とパミール高原が同じなのは、べつにおかしなことではないんだなって」
実存感の薄い東京に対して、彼女にとって圧倒的なリアリティがあるのが大阪だ。「大阪って独特の存在感があると思う。いわゆる地方都市ではなく、オルタナティブな都市として存在する。大阪と東京の関係はとても不思議ですね。例えば、私の青春時代でもあった“90年代カルチャー”は、やっぱり東京の局所的なカルチャーで、それが少し遅れて大阪に来る。なので、当時は文化を通じて疑似体験としての東京を体験していたともいえるかもしれません。
岡崎京子さんの描く東京で、行ったこともない「TSUBAKI HOUSE ツバキハウス」やその「ロンドンナイト」を摂取していたり。東京は常になにかが起こっていて、それを発信する場所。好むと好まざるとに関わらず、それが私たちの青春を作っていたんですね。私は東京を語るネイティブの言葉を持たないけど、でもやっぱり繋がっていると感じます」
2022年には小説『ヘヴン』が英国の権威ある文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門であるブッカー国際賞の最終候補に、2023年には『すべて真夜中の恋人たち』が全米批評家協会賞の小説賞の最終候補となるなど、近年国際的な評価がさらに高まっている彼女は、海外のクリエイターとの交流も多い。
「海外の人と話して感じるのは、日本イコール東京というイメージを持っている方が多いということ。清潔で食べ物は美味しい。人々はちょっと風変わりで不親切で、何を考えているのかわからない。みんな同じくらいお金持ちで同じくらい幸せで同じくらい不幸。そういう平均化された少し奇妙な日本は、海外の方が“見たい”東京なのかも。でも、本当の東京はもっとハード。隠されているものがたくさんあって、それが東京という街。作家としては、“見たい”東京を紹介することには、まったく意味を感じないですね」
“東京を語る言葉を持たない”という彼女だが、そこに息づく人間には鋭くも繊細なまなざしを向け続ける。「“こういう街だ”という概念も大切だけれど、そこにいる人々のことは切り離すことはできないですよね。“東横キッズ”や詐欺の出し子をやっている若者たちも、東京の一部。小説は、人を安心させるためのものではなく、むしろ常に読者を不安にさせるものだと思います。生きているってそういうことだし、その不安は、東京の重要なエッセンスだと思います」
さらに、東京は保守的な街でもあると付け加える。「東京の匿名性は、素敵な部分でもあると思いますが、この妙な安心感は東京のコンサバティブな面からも来ているんじゃないかと思います。ロールモデルがいくつもあって、ラグジュアリーなものがたくさんあって、それを欲望することで安心できる。でも、それを信じてしまってはいけない。仕事をしていて思うのは、内側からも外側からも、どうにも安定してきてしまう。私は常に“新人”でいたいので、これは難しいかな、と思う仕事だけをやっていきたいです。自分の長所を強くして、居場所を盤石にしていくことには興味がないんです。大きな失敗をするかもしれないできないかもしれない、ということだけをやっていけたらと思います」
Profile
川上未映子
大阪生まれ。音楽活動を経て、2006年にエッセイ『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』を上梓。2007年、『わたくし率イン歯―、または世界』で小説家デビュー。2008年に『乳と卵』で第138回芥川賞、『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞および紫式部文学賞など多くの文学賞を受賞。『夏物語』は40カ国以上で翻訳され、『ヘヴン』の英訳は2022年ブッカー国際賞の最終候補に選出、2023年には『すべて真夜中の恋人たち』が「全米批評家協会賞」最終候補にノミネートされるなど国際的な評価も高い。
Photographer YUJI WATANABE
Text ATSUKO TATSUTA
Sittings editors SAORI MASUDA and TOMOMI HATA
MIEKO KAWAKAMI wears PRADA