考察:エレガンスをどのようにして香りで纏うのか


Shoko Natori

このところ、私は香木のような香りの香水の虜になっている。具体的には、香り高いシダーとでもいおうか。エレガントな香水を探していたところ、この香りに引き寄せられたのだ。強すぎることもなければ(そもそも私は、香水をたくさん付けるほうではないのだが)フレグランス界の専門用語的な意味での”男っぽさ”もない。この香りを表現するのはなかなか困難だが、強いていうなら、謎めいていて、落ち着いているという表現が近いのかもしれない。

「エレガント」という言葉を聞いて、私は次のようなものを連想する。スモーキングジャケット、ロメイン・ブルックスの絵画、ルー・リードの楽曲——特に「Pale Blue Eyes」(実際、すでに香水のインスピレーション源になった)と「Coney Island Baby」。なかでも、私のミステリアスな香水と同じくらい謎に満ちているロメイン・ブルックスは外せない。ブルックスに関する書籍を読めば読むほど、そして彼女の絵画を鑑賞すればするほど、私は彼女のことがわからなくなるのだ。私がブルックスに初めて抱いた印象は、まさに「エレガント」だった。20世紀前半に女性の芸術家として活躍したブルックスの作品の特徴は、見事な骨格と流れるような髪、そしてグレーやアッシュといった曖昧な色彩表現にある。ブルックスは、こうした色を使ってボーイッシュな少女たちや男性的な魅力をたたえた女性たちの肖像画を描いた。

ブルックスは、第二次世界大戦の頃に芸術家としてピークを迎えた。ラドクリフ・ホールは1924年の小説『The Forge』にブルックスを登場させ、不朽の名画を描く禁断の氷の女王と描写している。ある場面では、ブルックスは華やかな舞踏会で男装した若い女性たちとシャンパングラスを交わし、別のシーンでは、ホールがブルックスのアトリエを訪れる。アトリエに足を踏み入れたホールは、ブラックラッカーで仕上げられたテーブルを配した仄暗い空間は時代を先取りした内装で飾られていた——そこはミニマルなモノクロームの優美な空間だった、と表現した。

「ブルックスは、特徴的な香りの香水を自分に振りかけていた。結局その香水の名前は、誰にもわからなかったのだが」とホールは書き留めている。

ブルックスが描いた女性の中には、彼女の恋人もいれば、肖像画を依頼した上流階級の顧客もいた。批評家たちは、ブルックスのモノクロームのパレットと死を想起させる肌の色に注目した。(1971年の展覧会を訪れた)ヒルトン・クレイマーは、ブルックスのヌードについて「一度見たら忘れられないくらい不気味で、氷のように冷たい感情を表している」とニューヨーク・タイムズ紙に記事を寄せた。私はそうは思わない。なぜなら、ブルックスの作品は感情に満ちあふれているのだから。それを読み取るのは困難かもしれないが。

先日、アメリカ・ワシントンDCのスミソニアン博物館がブルックスの未発表の自伝をオンライン上で公開した。その一節には、1890年から1900年まで、家族と半別居状態で暮らしながら芸術を学び、わずかなお金で生活していた彼女の初期の体験が記録されている。ブルックスはパリやジュネーブ、カプリ、ローマでの安宿暮らしと、こうした初期の近代都市で独身女性が生きることの難しさを赤裸々に語り、ローマにある美術学校では、唯一の女性として学び、その他の学校の教室は「街角で私を追いかけてくるような男たちで埋め尽くされていた」と綴った。

シャネルのココ マドモアゼル オードゥ パルファム

 「ねっとりとまとわりつくように官能的なハートノートはとても抽象的で、事実上はジェンダーレスといえるだろう」

ブルックスが亡くなった当時、自伝はまだ出版されていなかった。彼女の作品に興味がある方は、この機会にぜひ読んでみてほしい。ブルックスはホイッスラーを賞賛していたが、彼の芸術には「驚きも、逆説も、複雑さもなかった」とも指摘している。さらには、自身の「乱れた気質は、より不確定な気分への憧れだった 」とも書いている。同時代の画家ジョヴァンニ・ボルディーニに関しては「(女性の表面的な価値しか好まない」と批判した。

私は伝記作家のメリル・セクレストが上梓したブルックスの伝記『Between Me and Life』(1974)も読んだが、ブルックスが困難に満ちた幼少期を過ごしたことは明らかである。兄は重い精神疾患を抱えていて、母親は過剰なまでに息子に対して献身的だった。ブルックスの家庭生活は、健全とは言い難いものだった。だが、一家はとても裕福だった。それでも彼女の幼少期は、荒々しい情景(兄の気性の激しさ)やオカルト的な幻視(母親には霊感があった)といったものに満ちていた。詩人ギヨーム・アポリネールはアントランシジャン紙に「彼女は力強く絵を描いた。だが、そこにはなんと多くの悲しみが込められていることか」と寄稿した。

私は、ルー・リードが歌う「Pale Blue Eyes」を何千回も聴いたにちがいない。悲しい曲だ。この曲は終わってしまった情事を歌っていると言われているが、曲の中では、ふたりの恋は永遠に続いている。歌詞のひとつひとつが美しく、すべての言葉が真実だと感じられる。

僕らが昨日やったことは良かった(It was good what we did yesterday)

だから、もう一度やるだろう(And I’d do it once again)

 君が既婚者だということは(The fact that you are married)

 君が僕の親友であることの証しにすぎない(Only proves you’re my best friend)

 でも、まったく罪なことだ(But it’s truly, truly a sin)

「Coney Island Baby」も、同じくらいパーソナルな楽曲である。この曲には年上の男性に抱いた憧れや初恋(相手は「Pale Blue Eyes」の女性)、現在の恋、夜の街での冒険、そして10代の頃に好きだった曲(エクセレンツの1962年のヒット曲「Coney Island Baby」への言及)など、リードの人生がまるごと詰まったかのようである。リードの当時のパートナーであったトランスジェンダー女性のレイチェル・ハンフリーズに捧げられた部分は、すべて愛について歌っている。この曲は、リードがラジオDJの真似をして「この曲はルーとレイチェルに捧げます」とリクエストに応じるセリフで終わる。当時リードは、ハンフリーズを連れてメディアのインタビューにも応じた。私生活を隠そうとはしなかったのだ。

私はこの曲を何年も前から聴き続けてきた。繰り返し聴く曲というものは、誰にでもあるものだ。画家のゲルハルト・リヒターにとっては、バッハの音楽がそうである。リヒターの著書『The Daily Practice of Painting』(1995)には、主に絵画に関する著作が集められている。もちろん、すべてが絵画に関するものではない。たとえばリヒターは、次のように書いている。「グレン・グールドのゴルトベルク変奏曲。この1、2年間、私はこれ以外の曲をほとんど聴いてこなかった。私を苛立たせはじめているのは、その完璧さだ。このまったく不条理で、退屈で、悪意に満ちた完璧さ。グールドが若くして死んだのも、まったく不思議ではない」

ブルックスのミューズ は、ロシア人ダンサーで相続人のイダ・ルビンシュタインだった。ブルックスは、何度もルビンシュタインを描いている。私がこの目で見る限り(最近はすっかり視力が落ちてしまったが)、ルビンシュタインの姿は、ブルックスが彼女を描いていないときでさえ絵の中に現れる。同じ青白い肌や長い手脚、ほっそりとした身体、一糸乱れぬ骨格が他の人物の上でも再現されるのだ。ブルックスの自伝によれば、ふたりの関係は4年間続いたという。

「ある寒い雪の朝、イダと一緒にロンシャン競馬場を歩いたことを覚えている」とブルックスは書いている。「何もかもが真っ白で、イダはアーミンのロングコートを羽織っていた。前を閉じていなかったので、イダのか弱い裸の胸と細い首が露わになっていた……」。イダの身体は 「カーブのないライン 」を描いていたとブルックスは振り返る。私は、この表現に驚いてしまった。それはダンサーであるイダの筋肉質で細長い身体を表現しており、当時流行していた(と思われる)砂時計のようにカービィな体型とは正反対だったからだ。ブルックスは、ルビンシュタインには 「とらえどころのない 何かがある」とも言っていた。「イダが初めてパリに来たとき、彼女はいまではめったに語られることのない神秘性を持っていた」と回想する。

自伝では、ブルックスが絵を描くことをやめた理由は明かされていない。初期の作品の成功にもかかわらず、1930年代にはほぼ筆を置いていたようだ。興味深いデッサンはいくつか残っているが、重要な作品群はない。伝記の著者によれば、ブルックスはとても裕福だったので、絵を描く必要はなかったという。母親が亡くなって財産を相続した。しかし、リードがハンフリーズと別れてから何年も、そして彼女がエイズで亡くなってから何年もずっと「Coney Island Baby」をステージの上で披露するのに耐えることができたのと同じように、私はブルックスがなぜ絵を描くことをやめたのか、理解することができない。リードとハンフリーズとの関係性を理解する以上に、ブルックスを解き明かすことは難しい。他人の人生は、あくまで他人の人生である。それなのに私は、リードの曲を聴き続け、ブルックスの絵を観続けることをやめられないのだ。

また、なぜ自分がこれらの作品をエレガントだと感じるのかもわからない。どの作品も、どこか悲しげなのに。私は人生において幸せでありたいと思っているが、私の幸せのイメージはディズニーの『白雪姫』のお姫様であり、それは凛とした人物のイメージではない。なぜ悲しみがエレガントに見えるのかわからない。これについてリヒターは『Notes』(1983)の中で次のように自論を展開する。「芸術は、基本的には苦悩や絶望、無力感を常に表してきた(私は、キリストの磔刑を描いた中世の絵画からマティアス・グリューネヴァルトの祭壇画のことを考えている)。苦悩や絶望、無力感は、美以外の方法で表現することはできない。なぜなら、美を傷つけることがそれらの感情の根源であるからだ」と書いている。リヒターの著書(前述の『The Daily Practice of Writing』)は、ぜひとも読んでいただきたい作品だ。彼は偉大な思想家であり、教師でもある。それはさておき、この数週間、私は件の香木のような香りの香水をつけている。肌触りはいつもなめらかで、まるでクリームのようだ。海に降り注ぐ陽光のようにきらめき、フランスの古典的な香水の香りを漂わせる。このフレグランスの調香師であるニコラ・ボンヌヴィルは、ウッドの自然な官能性を高める方法を見つけたのだと思う。「スラウェシ(Sulawesi)」と命名されたこの香水の主な成分は、インドネシア産のパチョである。グリーンで繊維状のパチョリには馴染みがあるが、このゴージャスできらめくような神秘は、私にとって初めての体験だった。

「パチョリの特定の香りのファセットで遊びたい場合は、彫刻家のようにテクスチャーをつけるのがいいでしょう。私たちは、香りに少し重厚さを加えるためにシダーやベチバー、ジャワを加えました。これらをスモークして少しダークにし、ベンゾインでベースノートにコントラストを与えました。パチョリ、ナツメグ、そしてベンゾインがこの香りのバックボーンなのです」とボンヌヴィルは解説した。

ボンヌヴィルの香水には、言葉にできない完璧さがある。要するに、何ひとつ欠点が見当たらないのだ。興味深い点として、自然由来の原料がすべてインドネシア産であることが挙げられる。これはニサバ(Nissaba)というフレグランスメゾンのアイデアで、ニサバの香水にはこの単一原産地という特徴がある。インドネシアの森のことを思って心を痛めない限り、スラウェシは悲しい香水ではないのだ。しかし、このスモーキーで温かみのあるスパイシーな香水は、私が決して見ることのできない遠い場所のことを突如として考えさせてくれる。そこには、少しばかりの寂しさもある。でも、それは耐えられないほどの寂しさではない。

エレガントな香水を3つ挙げるならば…

 スラウェシ by ニサバ

このエキゾチックで夢のようなウッドノートは、瞬く間に人を魅了するだろう。まだ少ししか付けていないというのに、ダークでスモーキーな影の上できらめくような香りが印象的だ。シダーがスパイスの香りを吸収し、ドライダウン(ベースノート)はエレガントでありながらも官能を秘めている。洗練された美しい香水だ。

ココ マドモアゼル by シャネル

男性向けの香水ではないが、マスキュリンとも捉えることができる、ドライでハーバルな側面を持っている。ねっとりとまとわりつくように官能的なハートノートはとても抽象的で、事実上はジェンダーレスといえるだろう。長くゴージャスなドライダウン(トンカ、バニラ、ムスク、サンダルウッドまたは関連した香り)は、繊細で快感を与えてくれる。もし私がシャネルだったら、ルー・リードを(ケイト・モスとキーラ・ナイトレイの次の)広告キャンペーンに起用するだろう。いかにも22世紀的なフレグランスである。

ソワ マラケ by ドリス ヴァン ノッテン

ドリス ヴァン ノッテンの新作フレグランスコレクションの中でもっとも興味深いこの香水を選んだライターは、私を含めてほんの一握りしかいない。ドリス ヴァン ノッテンとしてはシルクとチェスナットのフレグランスを強調したいようだが、私はドライでパウダリーなチョコレート(おそらくこれが栗の香り)と高価なバニラのおかげで、ビターでありながらも甘いエンディングに心を奪われた。エンディングは、自分がベッドではいい女だと自覚する女性のひねくれた自信に満ちている。

10 Men 58号「ELEGANCE, BEAUTY, GRACE」掲載記事

@tenmenmagazine

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