「普段はひどい格好をしているんです」。出会うなり、クリスティーナ・ブラニク(Kristina Blahnik)は言った。クリスティーナは、マノロ ブラニク(Manolo Blahnik)を創設した偉大なるシューズデザイナーの姪であり、現在はブランドの最高経営責任者(CEO)を務めている。その日の朝は、朝食を兼ねての取材に応じてくれた。前日は、サリーにあるラグジュアリーカントリーハウス「ビーバーブルック(Beaverbrook)」でメンズウェアイベントを主催し、芝生の上でタマゴ運び競争に興じたり、マルガリータづくりを伝授したあとに新作コレクションを発表したばかりだ。当然ながら、この日のクリスティーナの装いには非の打ちどころがない。エレガンスは、ブラニク一族の血に流れているのだ。オーダーメイドのパステルカラーのスーツを好むことで知られるマノロ本人も、誰もが憧れる世界一おしゃれな男性のひとりだ。姉のエヴァンジェリーナ(クリスティーナの母)も、完璧なテーラーリングをこよなく愛することで知られる。
スラリと背が高いクリスティーナは、豊かなダークヘアをすっきりとまとめている。その凛とした姿は、デイヴィッド・ダウントンのイラストから飛び出してきたかのようだ。生まれながらのリーダーのオーラも漂う。頭脳明晰でディテールにこだわる彼女は、ケンブリッジ大学の建築学科を卒業後、建築家としてのキャリアを積んでいたが、2009年に家族経営を貫くマノロ ブラニクの一員となった。母親とおじは、彼女の入社を心から歓迎した。
「家族以外の人間と仕事をするなんて、私には考えられないことだった。巨大コングロマリットと手を組むなんて、冗談じゃない。私は、信頼できる人としか働けないんだ」と、マノロ・ブラニクはビデオ通話アプリを介して言った。マノロは、スペイン領カナリア諸島の自宅のドローイングテーブルに座っている。その足元でおすわりをしているのは、愛犬のラブラドール・レトリバーだ(マノロは9頭のラブラドールを飼っている)。幼少期を過ごしたカナリア諸島の自宅は、大切な思い出に満ちた幸福な場所だ。パンデミックの数年間は、ほとんどの時間をここで過ごしてきた。だが、今年は積極的に外に出たいと考えている。目的地は、愛する工場があるイタリア——熟練した職人たちの手によってマノロの靴に命が吹き込まれる場所だ。
クリスティーナは、2013年にマノロ ブラニクのCEOに就任した。だが、CEOという肩書きはどうも好きになれないと語る。「正式な肩書きには、本当に興味がないんです。それが必要だということはわかっているのですが……どちらかというと自分は、クリエイティブ・ストラテジストのような存在だと思っています」。彼女のねらいは、マノロ ブラニクというブランドのカルト的人気をさらに高めること。そして、人々から愛されていながらも比較的小規模なブランドをこれから何百年にもわたって続いていくレガシーを備えた、21世紀のラグジュアリー界にふさわしいプレイヤーに成長させることだ。「いまでも、建築家として身につけたスキルに支えられています」とクリスティーナは言い、「具体的には、建築家になるための訓練と視覚化する能力、そしてビジョンを持つ姿勢です」と言葉を添えた。
近年においてクリスティーナは、目的を達成するためにいくつかのイニシアチブを立ち上げた。そのひとつが、ブランドのデジタルアーカイブの構築だ。このアーカイブは、一連の“ビジュアル・ルーム”を通して、マノロがひとつひとつのデザインに注ぎ込むブランドの豊かな歴史や文化的レファレンスを掘り下げられる仕組みになっている。「私たちがするすべてのこと、すべての新しさには、レファレンスポイント(参照点)があります。マノロ ブラニクでは、“無”から生まれるものはありません」と彼女は語り、このデジタルアーカイブを巡回展として世界各地で実現させる計画があることを明かした。このほかにも、ブランドのストーリーテリングと顧客体験をより適切にコントロールするために海外とのライセンス契約やパートナーシップ契約を解消し、自社主導に切り替えた。さらには、35年にわたってマノロの靴をつくり続けてきたイタリアの家族経営の工場を買収し、縦型構造のサプライチェーンを構築した。これについてクリスティーナは、「(オーナーは引退したがっていましたが)、後継者がいませんでした。マノロ ブラニク最大の工場だというのに」と明かした。ブラニク一族が工場を買収したことを知った従業員たちは、喜びのあまり声をあげたという。「おかげで、サプライチェーンをより深く理解できるようになりました。私たちは、今後もこうした透明性を追求していくつもりです」とクリスティーナは語る。
それだけでなく、工場の買収によって伝統的な職人技——誰もが憧れるマノロ ブラニクを一足つくるのに必要なあらゆる手仕事——も失われずに済んだ。建築家というバックグラウンドをもつクリスティーナの口からは、建築の例えが頻繁に発せられる。マノロ ブラニクの靴をつくるには、時間と熟練の職人技が必要であり、それは即座に利益を生むためにプレハブをこしらえるのとは違う、と彼女は指摘する。「大量生産されたものには、個性がありません。そうした商品からは、つくるために注ぎ込まれたエネルギーが感じられないのです」と彼女は言う。マノロ ブラニクの靴の魅力は、そうした商品との違いにある、とクリスティーナのおじも日頃から口にする。「マノロ ブラニクの靴が特別なのは、クオリティが素晴らしいことに加えて、職人たちが労力を惜しまずに長い時間をかけてつくったからです。職人たちと仕事をするとき、私は完璧さを目指すことがあります。でも、それは不可能なことなのです。完璧なものなんて存在しませんから。わかっていながらも、私は完璧さを追求せずにはいられません。自分が持っているすべてを靴に注いでいますから」
マノロ ブラニクの靴には、もうひとつの魅力がある。マノロ本人がシーズンごとに描く300点ほどのスケッチを忠実に再現した、抗いがたい魅力をたたえたエレガントなラインがそうだ。「おじは、本当に多産なデザイナーなんです」と語るクリスティーナは、その職業倫理には驚かされてばかりだという。対するマノロ本人は「コレクションのスケッチを描くときは、それが売れるかどうかとか、素材が扱いにくいかどうかは考えない」と語る。ただつくること——それがすべてなのだ。スケッチが完成すると、マノロは姪と一緒にスケッチをチェックしながら、形にするのにふさわしいデザインを選んでいく。「この作業が終わったら、あとは私の仕事です」とクリスティーナは言う。デザインや素材、プロダクトラインを検討しながら、すべてをひとつのコレクションに仕上げていくのだ。
クリスティーナは、「自分は靴箱の中で成長した」というジョークを好んで使う。幼少期は母親とおじとひとつ屋根の下で暮らし、おじが営むナイツブリッジの小さな店にほぼ入り浸りだった。学校が終わると、バスに乗っておじのところに直行した。母とおじが1階で靴を売る間、2階のストックルームでアニメ『マイティ・マウス』を観たり、宿題をしたりした。「ふたりが働いているところをただ見るために、階段の手すりから頭を出していました。私にとっては、リビングルームのような場所でした」。ふたりとも、いつかはクリスティーナがこの道を選ぶだろうと思っていた。6歳で初仕事を任されるようになり、フラシ天のカーペットに掃除機をかけたり、スエードの靴にブラシをかけ、きれいに並べて翌日の準備をしたりした。
生まれて初めてマノロ ブラニクの靴を履いたときのことも、鮮明に覚えている。8歳のときに、真っ赤なパテントレザーのピンヒールを店の地下室で見つけたのだ。「私にぴったりのサイズで、11.5センチのヒールがありました。足を入れて、よろめきながら歩いたことを覚えています」。イタリアの工場から新作コレクションが届くたびに、3人で深夜まで梱包作業を行った。「正真正銘のファミリービジネスでした」とクリスティーナは言う。
それはいまも変わらない。学生時代も販売アシスタントとして店に立ち、小遣いを稼いだ。だが、母親からも、おじからも、事業に加わってほしいという圧力は感じなかったという。「自分から言い出したんです。私を雇ってもらえないかと」。建築家として成功し、10年にわたって走り続けた結果、自分は燃え尽きたと感じていた。2009年におじが工場訪問を突如としてキャンセルすると、これはチャンスだと思った。「『おじさんの代わりに、私に行かせて』と言いました。振り返ってみると、運命的な瞬間でしたね。この道に入るなら、いまだ。いましかない。私にはできる。この事業の一員として、家族を支えられるんだ。そう思って飛び込みました」
マノロ本人と同様に、クリスティーナも巨大コングロマリットと手を組む気はさらさらない。サステナブルとはいえない対前年比成長率を期待する株主たちを満足させるために短期的な意思決定が求められるのは問題だ、と彼女は指摘した。「それではブランドの価値にもとづいた理由や、カスタマージャーニーやメッセージをより良くするためにやっているのではなく、ビジネスとして成功するため、儲けるために仕事をしていることになってしまいます。そんなことをしたら、マノロ ブラニクという魔法——私たちを守っている“泡”が一瞬で壊れてしまうでしょう。それは生き物ですから、ひとたび壊れてしまうと、もう後戻りはできません」
家族経営というマノロ ブラニクの経営形態は、彼女をそうした心配から解放してくれる。報告するべき株主もいなければ、スピーディーなリターンを期待する投資家もいないことにより、クリスティーナはビジネスにとって最適な、長期的かつ戦略的な意思決定を行うことができるのだ。経済のアップダウンにも、「合理的かつ自然、そして有機的な理由がある限りは大丈夫」と決して動揺しない。昨年は、パンデミック以降もっとも高い成長率を記録した。それと比べると今年は穏やかだが、昨年に劣らず忙しい一年になりそうだ。クリスティーナが入社した当時、マノロ ブラニクの店舗はたったひとつだったが、いまでは21店舗を展開するまでになった。そこには、中国にオープンする3つの新店舗も含まれる(2022年にマノロ ブラニクは、22年におよぶ中国での商標権争いに勝利した)。
クリスティーナはアメリカ——特にフロリダと西海岸への投資にも力を入れている。5年以内には、世界各地に約30店舗をオープンしたいと考えているが、それ以上の数は望んでいない。「私たちはブランドをできるだけ大きくするのではなく、最適化しているのだ、と常に言い続けてきました。これは独立系企業の醍醐味でもあります。私にとっての3つの贅沢は、時間と自由、そして安心です。ビジネスとチームのみんなに安心感を抱いてほしいのです。これからの3カ月をどうやって乗り切ればいいのだろう? とか、売り上げを20パーセント伸ばすにはどうしたらいいだろう? といったことを気にしながら目を覚ますよりも、自分自身が安心することのほうが大切なんです」
クリスティーナという右腕がいるおかげで、マノロ本人も安心して創作活動に臨むことができる。工場訪問やクリエイションの新たなサイクルを楽しみにしながら、マノロは次のように言った。「新しい働き方と生産方法とともに、改めてエネルギーを蓄えるつもりだ」。そのいっぽうで、決して変わらないものもある。「私たちには、少しばかりの夢が必要なんだ。物事がうまくいっていないときは、特にそうだ」とマノロは言う。そう、私たちにはマノロ ブラニクが必要なのだ。
10 Magazine 71号「FASHION, ICON, DEVOTEE」掲載記事
MANOLO BLAHNIK: RADIANCE
Collage Artist JAMES STOPFORTH
Fashion Editor SOPHIA NEOPHITOU
Text CLAUDIA CROFT