プラダの神話


Shoko Natori

敬意を込めて「ミセス・プラダ」と呼ばれるミウッチャ・プラダは、ラグジュアリー界に革命を起こしただけでなく、ファッション界のGOAT(史上最高の人物)の称号も得ている。そんなミウッチャのキャリアは、当初からまさに知性と創造性の融合の連続であった。政治学の博士号を持つ彼女は、ファッション界にユニークな視点をもたらした。知性と独自のスタイル言語との融合は、プラダのデザイン理念の特徴であり、同世代のデザイナーたちとは一線を画している。

ミウッチャの祖父にあたるマリオ・プラダが1913年に創業したプラダは、1970年代後半以降、彼女の指導の下で変貌を遂げてきた。なかでも最新かつもっとも重要な改革は、2020年にラフ・シモンズを共同クリエイティブ・デザイナーとして迎え入れたことだ。ふたりの強力なデザイナーによるコラボレーションは、ブランドに新たなエネルギーをもたらした。

ミウッチャの初期のデザイン——その多くは、2023年12月から2024年1月にかけて上海で開催された、シモンズのキュレーションによる大規模展覧会「プラダスフィア II」展で展示された——は、彼女のキャリアの方向性を決定づけるものだった。ミウッチャは、型にはまらない素材とミニマルな美学を駆使して、既成概念に挑戦する決意を固めていたのだ。1984年に発表されたプラダのナイロンのバックパックは、日常を別のステイトメントに変える彼女の能力を体現していた。その手にかかれば、それはラグジュアリーな雰囲気に包まれたのである。このアプローチによってミウッチャは先駆者としての地位を確立。プラダは衣服の枠を超え、広義の文化的精神を描くようになった。

1988年に発表されたミウッチャのデビューコレクションは、プラダをプラダたらしめているすべてのものの”起源”としてファッション史に刻まれた。白いシャツやスカート、厚底靴のシンプルな魅力、さらには腕を組んだりカーディガンを何気なく羽織ったりしながらヴィンテージ風のバッグを持つモデルの歩き方など、当時のプラダのショーは一般的なファッションの正統性を覆し、シーズンごとに心躍る”何か”を定義するブランドの舞台としての機能を果たした。多くの意味で、このコレクションはそのマニフェストなのである。

シモンズは、イタリアのトスカーナ州に保管されている膨大なプラダのアーカイブに目を通しながら、こうした概念の虜になっていた。800点もある彼のウィッシュリストは、最終的にはプラダスフィア IIにて展示される200点まで絞り込まれた。「初期のコレクションが表現したシンプルな概念のモダニティは、時代感とよく合っていました。それは、奇抜さよりも時代に合ったものであったと思います」とシモンズは語る。

プラダのファッションショーは、ファッションやアート、文化の交差点という概念に対するミウッチャの深い理解を反映し、常に没入型の体験を提供する。それぞれのコレクションにはストーリーがあり、観客をその世界に引き込む。過去40年にわたるミウッチャの作品への賞賛は、デザイナーとしての役割を超え、他の分野にも広がっている。プラダのキャンペーンは、しばしば差し迫った社会問題に触れ、ファッション界内外において対話を育んできた。また、ミウッチャのサステナビリティへのコミットメントは、責任あるファッションを目指すムーブメントのリーダーとしても注目されている。

ミウッチャの影響力は、アートや建築、哲学、映画にまで及んでいる。1993年に設立されたプラダ財団は、クリエイティブな分野において新しい才能を育成し、定評のある伝説的な作品を紹介するという彼女のコミットメントの説得力のある証となっている。同財団が主催する画期的な展覧会には、ジョン・バルデッサリやルイーズ・ブルジョワ、ウォルター・デ・マリア、スティーブ・マックイーンといったアーティストのコミッションワークも含まれる。その素晴らしい研究展示には、「The Boat is Leaking」や「The Captain Lied」、さらには実験映画プラットフォーム「Belligerent Eyes」などがある。国際的なギャラリーや美術館の基準からしても、圧巻の内容である。

ミウッチャは、先日プラダスフィア IIにて行われた本誌の取材で次のように語っている。「私はデザイナーとして創造性を発揮することはできますが、自分がアーティストだとは思っていません。アーティストになりたかったのであれば、デザイナーではなく、他のアーティストと競い合ったでしょう。正直に言うと、私はアーティストにはなりたくありません。確かに、アーティストが自由であるのに対し、私にはモノを売るという使命がありますが……」

展覧会「プラダスフィア II」 

ミウッチャは1996年以降、ダミアン・ハーストのようなアーティストに憧れ、コラボレーション——プラダスフィア IIにて披露された、30点のクロームメッキのバッグが並ぶ圧巻のキャビネットなど ——を行ってきた。こうしたことからもわかるように、アートはプラダが販売する作品の多くを形作ってきたのだ。アーティスティックな影響力へのコミットメントは、プラダをより広い対話に巻き込み、それは超越した物語を持つコレクションにも反映されている。ウェス・アンダーソンズ・ラーマン夫妻、プロダクションデザイナーのキャサリン・マーティンデヴィッド・O・ラッセル、 シアスター・ゲイツは、ミウッチャと密接に仕事をした監督やアーティストのほんの一例に過ぎない。ミウッチャは女性イラストレーターともタッグを組み、ランウェイのセットやバッグ、ウェアのために数々のユニークなデザインを生み出した。なかでも漫画をテーマにした2018年春夏コレクションは記憶に新しいはずだ。

活気にあふれ、進化し続けるファッション界において、ミウッチャは侮れない存在であり続け、そのデザインの手腕は影響を与え続けている。彼女のレガシーは、早くも1996年春夏コレクションにて確立された「アグリーシック(悪趣味の中に見出す洗練)」という独自のコンセプトに刻まれているだけではない。それは探求と洗練を続け、シーズンごとに力を増し、シモンズとのコラボレーションの根底にも流れているのだ。ミウッチャにとっての唯一のフォーカスは、自らの言葉で美を再定義することへの揺るぎない献身である。ブランドの確固たるアイデンティティは瞬く間に確立され、100年以上の歴史を持つ伝統的ブランドと肩を並べるまでになった。プラダの独特の美学は、革新と日常からの脱却を求める私たちのすべてとなったのである。

ディテールに対するプラダのこだわりは、ランウェイだけでなく、サンレモの巨大な倉庫に作られた、綿密にデザインされた各ブティックのレプリカにまで及んでいる。これらの魅力的なディテールは、インタラクティブな体験を創出するというプラダのコミットメントを強調するものであり、細部まで隙のないラグジュアリーがブランドのあらゆる側面を包含するという信念を体現している。

絶え間ない進化の精神は、ミウッチャ本人の哲学によって体現されている。「私は常に次のことを考えています」と彼女は語る。この先進的なアプローチにより、プラダは常に変化し、イメージを追い求めるファッション界において、ダイナミックな存在であり続けている。その成功の核心は、ミウッチャとクリエイティブパートナーであり夫でもあるパトリツィオ・ベルテッリとの深い関係にある。ふたりのパートナーシップは尊敬や相互称賛、信頼の基盤の上に築かれている。これらが市場のダイナミックな流れの中でプラダの舵取りを支えてきたのである。

ラフ・シモンズとミウッチャ・プラダ、展覧会「プラダスフィア II」にて

決定的なデビューから現在に至るまで、ミウッチャは革新と未来へのあくなき追求という教訓を学んだ。シモンズが共同クリエイティブ・ディレクターに就任して4年が経ち、プラダのレガシーの軌跡は不動のものとなった。シモンズとのパートナーシップは新しさとダイナミックな相乗効果をもたらし、デザインルームに変化をもたらした。このコラボレーションは、時代を決定づけたふたりの傑物の調和に満ちた出会いを意味し、それぞれがプラダのミックスに独特の美学をもたらしたのである。

大胆不敵でアバンギャルドなアプローチで知られ、メンズウェア界においてカルト的な人気を誇るシモンズは、このストーリーに新たな視点をもたらした。彼のアーティスティックなビジョンとミウッチャのビジョンが見事に融合することで、プラダの伝統と進化に共鳴するコレクションが生まれた。ふたりのクリエイティビティの二面性は、プラダの美意識の一部となっている。

このパートナーシップは、おそらくミウッチャの変化を受け入れる寛容さと、いまや膨大になったクリエイティブな負担を分かち合うという姿勢をもっとも明確に反映している。

そしてもちろん、人気急上昇中のミュウミュウのデザインも忘れてはいけない。ミウッチャ・プラダとラフ・シモンズの間には、互いへの尊敬と称賛の念があり、両者の間には、アイデアがシームレスに流れる環境が醸成されている。彼らの作品は、革新性、包括性、芸術的表現が探求され続ける未来へのビジョンを共有していることを強調している。ミウッチャがシモンズをプラダ・ファミリーに迎え入れるという決断をしたことは、移り変わりと未来という複雑な世界を乗り切る上で、創造的精神の無限の可能性を祝福する象徴となったのである。

この記事は、10マガジン72号「DARE TO DREAM」からの抜粋です。

@prada

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