ロンドンを拠点に活動するデザイナーのサミュエル・スラッテリーは”アルファオス”という表現を恐れてはいない。「個人のための逸脱した服」を作ることを公言するスラッテリー(セントラルセントマーチンズ美術大学卒)は、ハイパーマスキュリンなフォルムに繊細さと脆弱さという”色彩”を重ねることを得意とする。男らしさという概念の創出に用いられる複雑なフォーミュラから着想を得たこの若きデザイナーの作品は、ありとあらゆる形のエクストリームな男性像を表現している。バイカーからレザーをまとったタフガイ、さらにはTikTokでいらぬアドバイスをするのが趣味のワークアウトマニアに至るまで、スラッタリーの鋭い眼差しから逃れられる者はいない。だが、誇示するような男らしさを嫌うスラッテリーの目を通して見ると、男性の視線は驚くほど解放的に感じられる。
もともとは自己表現方法として服づくりをしていたスラッテリーは、2018年に大学進学のためにロンドンに移住した。そこで、ファッションで何ができるかを探求したい、という想いを抱くようになった。「それは大量のカルチャーと服装を新鮮な空気のように吸い込む感じでした」とスラッテリーは振り返る。「まずは実験的に自分の服を作りはじめました。インターンとしていろんなブランドで働いたり、ロンドンで行われるパーティに入り浸るうちに、自分が思い描く男らしさを表現する最適な言語がファッションであることに気づいたのです」。ファッションに着目した理由を尋ねると、スラッテリーは次のように答えた。「結局のところ、ファッションは男性同士の意地の張り合いのようなものだと思うのです。私の継父も、いわゆるタフガイのひとりでした。継父は大工で、バイクのコレクターでもありました。そうしたことが、私の服装と自己表現に大きな影響を与えました……男らしさという美意識には、過激になることでそれ自体に悪影響が及んでしまうことがあると思うのです。だからこそ私は、あえてその逆の概念を打ち出すことで世間を驚かせたかったのです。男性的な美意識を提示しつつも、繊細さや柔らかさ、思いやりといった要素とともに新しいマスキュリニティを模索しました」
スラッテリーは「フラヌール(Flâneur)」と題された新作コレクションを作るにあたり、”男らしさの逆の概念”というコンセプトの新たな側面を引き出した。「10代の若者が二度と戻らない覚悟で実家を出る、という設定を考えたうえで、その子はどんな服を着るのだろう、と想像しました」とスラッテリーは言う。「服の実用性や機能性も重要ですが、着心地や守られているという感覚も大切です。今回のコレクションではなるべく点数を絞り、より洗練されたものにすると同時に、形と質感を重視しました」。その結果、スラッテリーは彼ならではのひねりの効いた、若者の精神を見事に捉えたコレクションを完成させた。「フラヌール」というコレクション名は、19世紀のフランスの詩人、シャルル・ボードレールが使った言葉に由来する。ボードレールの言う「フラヌール」とは、都会暮らしの華やかな側面を次から次へと消費する”道楽者”を指す。スラッテリーが思い描いた”男らしさの反対”というコンセプトは、発案から作品としての最終的な形に至るまで、すべてに貫かれていた。熟練の技が光るテーラードパンツはパープルクロームのまばゆい色によって命を吹き込まれ、ストロボ全開のダンスフロアにぴったりのアイテムへと昇華された。タイトなトップスは、袖の代わりに包帯を使うことでボクシーなシルエットを表現。抗いがたい魅惑とイノセンス、そしてフレッシュさをすべて備えた、まるで若者の成人期が一枚のファブリックに包まれたかのようなコレクションに仕上がった。
スラッテリーのアプローチは実に考え抜かれたもので、その繊細なシルエットは決して偶然の産物ではない。慎重に構築されたフォルムをどのように展開させるかについて、デザイナーは次のように語った。「ありのままの自分をさらけ出すことができなければ、ハイパーマスキュリニティというコンセプトには何の意味もありません。私は、ハンドメイドの技術を使ってファブリックを裁断し、服を作りながら男らしさの優しい側面——より多面的で濃淡のある側面——を表現したいと思いました。私が思う脆弱さとは、オーセンティックであることを恐れないこと、服装を通じて自分が好きなものを表現すること、誇りを持ってその服を着ることだと思います」
スラッテリーと話していると、彼がいかに実直な人間であるかがよくわかる。彼の服作りへの意欲とそのアプローチからは誠意が感じられるし、それによって創造的な彼の作品に対する好感がさらに増すのだ。服作りで一番好きなことは何かと尋ねると、このような答えが返ってきた。「ひとりでも多くの人が自分の美しさに気づき、自信を持ってもらうこと。自分自身を違った角度から見てもらうことができれば、これ以上嬉しいことはありません。生地やシルエット、アティテュードから世界を創造し、それを服に反映させることは、一生飽きることのない素晴らしい仕事だと思います」
スラッテリーのようなデザイナーは、ファッションを愛するすべての人に未来への希望を与えてくれる。この業界にはまがいものやエゴがあふれているが、真の才能と慎ましい目標があれば、すべてを切り開くことができる。「私にとって、服とは本質的にボードレール的なものなのです。でもそれ以上に、階級やバックグラウンド、社会があなたに期待する役割に関係なく、どんな服を着てもいいと感じてほしい。それは、根本的な自己受容のメッセージなのです」
このような理念を持つスラッテリーは、すでに成功への確固たる基盤を築いている。あるメンズウェアブランドでのポストを獲得したばかりの彼は、自身の名を冠したブランドの成長に専念する前に、少しだけ自分のための時間を作ることにした。「5年後には、ロイヤリティの高い顧客ベースを持ちたいです。その後もずっとブランドを持ち続けられるように。自分のブランドに対する明確な目標はありませんが、逸脱した個性やアンダーグラウンドなものを称えるものであってほしいと願っています。私はこれまで生きてきて、自分の居場所がないと感じたことが多々ありました。だからこそ、服を通じて自分の”トライブ”のようなものを作りたいです。私のような人がそこに加わってくれたら嬉しいですね」
スラッテリーはデザイナーとしての道を歩みはじめたばかりだが、意義あることを語り、それを語るためのスキルを持っていることを証明してくれた。彼の言う ”トライブ”に関しては、本誌のチームをぜひ頼りにしてほしいところだ。
Photography courtesy of Samuel Slattery