スティーブン・ジョーンズが帽子デザイナーになるまで


Shoko Natori

パンクファッションに欠かせない安全ピンも、アナーキーなモヒカンも、とにかくいまは忘れてほしい。イギリスの帽子ブランド、スティーブン ジョーンズを立ち上げた帽子デザイナーのスティーブン・ジョーンズによるもっとも反抗的な行為は、帽子を作ることだった。ジョーンズが青年時代を送った1970年代から80年代前半にかけて、”アナーキーさ”はファッションとアート、そしてクラブカルチャーがぶつかり合ってはひとつになる独創的なパンクシーンの一要素として、若者たちから当然のように求められていた。

セントラル・セント・マーチンズ美術大学(CSM)の学生であり、リー・バウリーやスティーブ・ストレンジ、マルコム・マクラーレン、ボーイ・ジョージらを同級生にもつジョーンズが帽子を作りたいと思ったのは、それ自体が一種の反抗であった。当時、帽子は女王陛下や日曜日に着飾る上流のご婦人たちのためのアクセサリーとして、ブルジョワ文化を象徴していたのだから。

(左から)スーツ, シャツ, ボウタイ/THOM BROWNE, トップハット/ジョーンズの祖父の私物, カフリンクス/VIVIENNE WESTWOOD, リング/CARTIER, Tシャツとパンツ/VIVIENNE WESTWOOD, シューズ/MILKBOY, ヘッドピース/STEPHEN JONES MILLINERY FOR VIVIENNE WESTWOOD

「想像できるかい?」と、かつてベレー帽に使った漆塗りの木の葉や、バイザーに使ったアセテートの破片をかき分けながらジョーンズは言った。その日、ジョーンズはロンドンのコベントガーデンにある骨董店の奥で本誌の取材に応じた。「私は、パンクムーブメントがはじまったばかりの1976年に帽子作りをはじめた。どうかしている、と思うだろう?」と言うジョーンズの物腰はやわらかだ。確かに、CSMで教鞭を執っていた教授たちは「ジョーンズはどうかしている」と思ったに違いない。彼らは、当時すでに時代遅れのアクセサリーとみなされていた帽子の道に進むというジョーンズの決断に猛反発した。「教授たちは、私を落第させようとした。私が帽子作りの技術を学ぼうとしたことが気に入らなかったんだ。でも、モヒカンにしたり、破れたジーンズに黒いマニキュアを塗ったりするよりも、帽子の道に進むほうがずっと反抗的で意外性があると思ったんだ」。仲間たちがロックミュージシャンのスージー・スーの真似をしてアイラインを引いたり、スタッズのついたレザージャケットを着て街に繰り出したりするなか、ジョーンズは独自の方法で社会に挑んだ。「私なりの反抗さ」と、67歳のジョーンズは不敵な笑みを浮かべながら言った。

80年代のパンクシーンを席巻したシンガーソングライターの故スティーブ・ストレンジの支援で自身の名を冠したブランドを立ち上げたのが44年前——2024年はジョーンズにとって大きな年になりそうだ。というのもジョーンズは、パリのガリエラ美術館での大規模な展覧会(会期:2024年10月19日-2025年3月2日)の開催を発表したばかりなのだ。本展では、マージーサイドからロンドン、そしてパリのラグジュアリーメゾンの寵児となるまでのジョーンズの道のりを紹介する。「この展覧会は、とりわけパリと私の”恋愛”を描いたものになるだろう」とジョーンズは口を開き、「パリのメゾンと帽子デザイナーとしての私の仕事、そこにたどり着くまでの道のりを皆様にご覧いただくのだ」と言葉を添えた。

それは長い道のりだったに違いない。マージサイドのウィラルで育ったジョーンズは、我慢強い母親を相手に帽子作りをはじめた。最初の帽子はネイビーのシンプルなもので、母親は買い物や教会に行くときは決まってこの帽子を被った。学校を卒業する頃にはCSMに呼ばれ、著名なイラストレーターであり、同校のファッションコースの創設者兼ディレクターのボビー・ヒルソンの支援を受けながら、その実力を周囲に知らしめた。その後、シャーリー・ヘックス(いまは亡き「ラシャッス」というイギリスのクチュールメゾンの帽子部門のトップ)のもとでインターンとして働きはじめた。「シャーリーは、自分が1950年代に学んだテクニックを教えてくれたが、最終的には私を独り立ちさせなければならなかった。そこで彼女は、自分の時代にはその技術が正しかったが、私は自分を表現するための新しい方法を見つけなければならないと言った。あまりのショックに大泣きしたが、結果的には私にとって一番いいことだったんだ」とジョーンズは振り返る。ほどなくしてジョーンズは、ジャン・ポール・ゴルチエやクロード・モンタナ、ティエリー・ミュグレーといったデザイナーから仕事を依頼されるようになった。マゼンタ色の涙で縁取られた細長いマスクをはじめ、当初は幻想的な作品を作った。1984年に発表されたベルベットの円錐形のブラドレスのコレクションでは、ポンポンをあしらったベレー帽がファッション(と音楽)の歴史に名を刻んだ。さらにジョーンズは、アズディン・アライアのために、優美にねじれた角や目元を覆う水玉模様のネットを使った帽子を制作した。「私はアズディン(・アライア)の前に帽子を置き、一歩下がってから、目立たないように調整した。彼はそれを見て『シックでいかにも帽子らしい(chic et le chapeau)』と言った。それはシックに見せるための私なりの工夫であり、意図的に位置を決めるものではなかったのだ」

(左から)スーツ, シャツ, シューズ/DIOR, ハット/STEPHEN JONES FOR DIOR, トップス/FRED PERRY, スカート/COMME DES GARCONS, シューズ/LOAKE, ソックス/PANTHERELLA, リング/CARTIER, ハット/STEPHEN JONES MILLINERY(2012年ロンドンオリンピック閉会式に出演したモデルのジョーダン・ダンのために制作したもの)

クリエイティブなコラボレーションはジョーンズを興奮させる。コム・デ・ギャルソンの川久保玲が、彼にたったひと言を投げかけ、そこからコレクションのための帽子を作るというのは有名な話である。「まずは玲からひと言をもらい、それを誤って解釈するんだ。それが私のプロセスなんだ。玲が求めているものや、自分がコム・デ・ギャルソンらしいと思うものを作ってもうまくいかない。自分が実際に知っているものを作らなければならない。シンプルな麦わら帽子を作っていたとき、エイドリアン(公私ともに川久保のパートナーであるエイドリアン・ジョフィ)にクラシックでもなく、英国風でもなく、日本風でもない帽子にするにはどうしたらいいか、と相談した。すると彼は、『玲は英国紳士のような帽子作りを望んでいる 』と言ったんだ」とジョーンズは語る。それに対し、ディオールのマリア・グラツィア・キウリのアプローチはまったくの別物である。ジョーンズ曰く、キウリは「世界中のおしゃれな若い女の子たちが被れるような帽子」を好むのだ。ディオールのメンズコレクションのアーティスティック・ディレクターを務めるキム・ジョーンズの場合は、「コレクションを手がけたアーティストやストーリー、フィーリングがカギになる。ときにキムは、創造性や学習という点で、思いもよらないところへ連れて行ってくれる」とジョーンズは言った。

その最たる例がジョン・ガリアーノだった、とジョーンズは言う。ふたりのコラボレーションのはじまりは1992年のこと。1996年にジバンシィのクリエイティブ・ディレクターに抜擢されたガリアーノが翌年にディオールのクリエイティブ・ディレクターに就任し、ディオールのクチュールコレクションで新たな高みへと昇りつめるあいだ、ふたりは古代エジプトのアヌビス(死者の魂を導く、山犬の頭をもつ神)をモチーフにしたヘッドピースから誇張されたナポレオンの「二角帽」まで、ありとあらゆる形をした超現実主義的で、キャリア史上もっとも呪術的な作品を生み出した。いまでもジョーンズは、メゾン マルジェラを指揮するガリアーノとの仕事を懐かしく思っている。「ジョンの最初のコレクションを見たときから、この人と仕事がしたいと思った。私は、その英国的な魅力と、どこか壊れたような感覚、特異性、クリエイティブな魔法を愛し、憧れていた。だからこそ私は、ジョンと仕事をしたんだ。私たちは一緒に素晴らしい時間を過ごした。冒険の時代だった」

グローバルファッションに多大なる影響を与え、いまも欠かせない存在であり続けているにもかかわらず、ジョーンズは驚くほど慎ましい。あるとき筆者がバックステージで偶然その姿を目にしたときは、ファッションショー直前の熱狂の真ん中で、彼の周りだけが静けさに包まれているような印象を受けた。

「帽子はルックの最終的な要素だから、モデルがランウェイに出る前にルックを仕上げる最後の砦になることが多い。だから私は、モデルたちが自信を持って立派にランウェイを歩けるように、ずっと話しかけるようにしている。思うに、帽子には人を落ち着かせる力があるのではないだろうか。帽子を被せて顔を上げてもらうだけでメイクや空気感、ランウェイで見せたいイメージがガラリと変わる」と語るジョーンズは、モデルたちをリラックスさせる存在なのだ。

(左から)スーツ/JOHN ALEXANDER SKELTON, シャツ/MILKBOY, シューズ/LOUIS VUITTON, ハット/STEPHEN JONES MILLINERY FOR JOHN ALEXANDER SKELTON, トップス/WALTER VAN BEIRENDONCK, ハット/STEPHEN JONES MILLINERY FOR WALTER VAN BEIRENDONCK

2014年に長年のパートナーであるクレイグ・ウエスト(帽子ブランド、スティーブン ジョーンズの代表)と結ばれたジョーンズは、穏やかで心優しい人物である。この言葉は陳腐で、小馬鹿にしたように聞こえるかもしれないが、この業界では少々珍しい資質であることに変わりはない。筆者は、ロンドンのラグジュアリーホテル「クラリッジズ」で開催されたディオールの2023年フォール メンズコレクションのイベント会場でジョーンズを観察したことがある。そのときの彼は、目を輝かせながらギザの大ピラミッドの魅惑的な眺めに酔いしれたかと思うと、次の瞬間には仕事に戻っていた。

帽子が好きになったきっかけを尋ねると、ジョーンズは「私は普段から、帽子との出会いはまったくの偶然だったと言っている。私が帽子を見つけ、帽子が私を見つけたのだと思っているよ」と、彼らしい控えめな口調で言った。若い頃は帽子の構造や堅固さ、形に夢中になったという。「陶器の鉢や生け花のように、完全に構築された物体であることに魅力を感じた。生地の業者やパタンナーに頼むのではなく、自分で作ることができる。帽子には、人を惹きつける魅力があると思った」

小生意気でどこかズレているのに、卓越した職人技が注ぎ込まれている——ジョーンズはその独自のスタイル言語によって唯一無二の存在であり続けてきた。トップハットを重厚で直線的にデザインする代わりに誇張されたカーブを取り入れたり、ベレー帽に大げさなアーチを添えたりするのもお手のものだ。こうした幻想的な作品だけでなく、ダイアナ妃にふさわしいボーターハットや、メーガン妃にぴったりの作品も作れる。「私の美学? 帽子には楽しさと軽さが必要だと思う。帽子は素晴らしい変装であると同時に、素晴らしいステイトメントでもある。洋服は毎日着るものだけど、帽子は意識的に被るものだから」とジョーンズは言った。

学生時代に教授たちから反対されことや、過去数十年のファッションの風向きの変化にもかかわらず、ジョーンズはいまも幸せそうに帽子を作っている。「21世紀のファッションにおける帽子のポジションとは何か? 何よりもまず、ファッション界に帽子の居場所があることが嬉しい。私が仕事をはじめたころは、必ずしもそうではなかったから。いまの人は『帽子をあまり見かけない』という。確かに、いかにも帽子といったものは減ったかもしれないが、どこを見てもニット帽やフラットキャップ、ベースボールキャップであふれているではないか。かつて帽子は、ある種の礼儀正しさ、正統性、教会といった権威の象徴だった。でもいまは、私たちの服装の一部になっている」

(左から)シャツ, スカート, シューズ /MAISON MARGIELA, ウェールズのドラゴンをモチーフにしたヘッドドレス「Draig」とSS24コレクション「Cymru」のマスク/STEPHEN JONES MILLINERY, ジャケット/COMME DES GARCONS, ハット/STEPHEN JONES MILLINERY FOR COMME DES GARCONS

ジョーンズに憧れる若き帽子デザイナーたちにどのようなアドバイスをしますか、と尋ねると、ジョーンズは「あなたが帽子を見つけたこと、そして帽子があなたを見つけたことは、とても素晴らしいことだ」と言い、こう続けた。「生計を立てるのは大変だが、やりがいもある。午前4時に帽子の縫い目を全部解くからには(それはやり直す必要があるからなのだが)、完璧な作品を作りたい、という想いがなければやっていけないのだから」と言った。

そう言いながらも、無理をしなければならなかったこともあった、とジョーンズは振り返る。初期のジョーンズは、クラブに入り浸る若者のイメージが強いかもしれないが、実際はアトリエにこもり、夜明けまで自身のブランド、またはパリのファッションショーに向けたプロジェクトに取り組んでいたことのほうが多いという。「後悔はしていないが、いまなら自分に『帽子はいいから、パーティに行きなさい』と言うだろう。大事なのは、招待を受けること。それがどこにつながり、誰に出会うか、わからないのだから」

ファッション界をとりまくペースも変わった。それでもジョーンズは、40年以上にわたって冷静さを保ち続けてきた。「自分を表現するには、どこかに所属しなければならない——この意識はいまも変わらない」とジョーンズは言う。仲間意識や帰属感といったものは、世界的なコングロマリットの策略や誇大広告、21世紀のファッションを動かすソーシャルメディアの熱狂に関係なく、内在的なものなのだ。「プラダへの忠誠を示すために服を着ようが、村役場にいる地元の女性たちに忠誠を示そうが、それは同じことである」とジョーンズは言い、次のように続けた。「サッカークラブのサポーターも、ファッション好きもそうだ。いまでもファッションは、理想の自分を演じるための”素晴らしい偽り”なのだ」。ジョーンズの気まぐれな帽子は、まさにその素晴らしい偽りを私たちに与え続けてくれるだろう。

この記事は、10 Men Magazine 59号「PRECISION, CRAFT, LUXURY」からの抜粋です。

@10menmagazine

ジャンパー, ショートパンツ, シューズ, コート/WALES BONNER, SS24コレクション「Cymru」のラージブルトンハット「Mam」/STEPHEN JONES MILLINERY, ブローチ/STEPHEN JONES MILLINERY FOR BRAIN TUMOUR RESEARCH

STEPHEN JONES: THE GLAD HATTER

Photographer KASIA WOZNIAK
Fashion Editor and Talent STEPHEN JONES
Text STEPHEN DOIG
Make-up FAYE BLUFF using Dior Forever Foundation and Capture Totale Le Serum
Photographer’s assistant CAMILLE LIU
Fashion assistants CHRISSIE TRAPL, SONYA MAZURYK and GEORGIA EDWARDS

Special thanks to ANNIKA LIEVESLEY

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