「現実的になれ、という言葉が嫌いだ」と、アーティストのアレクサンダー・ジェームス( Alexander James)は口を開いた。「誰かがそう言うときって、他人じゃなくて、あくまで自分にとってそれが現実的かどうか、ということしか考えていないような気がするんだ。自分にとって現実的なことが必ずしも別の人にとって現実的であるとは限らないよね。多くの人が道の半ばで足を止めてしまうのは、自分がやりたいことをするのはおかしなことだ、と思ってしまうからなんだ。心の底からそれがやりたいのなら、とにかく走り続けるしかない」と語るジェームスは、ロンドンのウエストボーン・パークにある自身のスタジオに座っている。それから1時間にわたって、アーティストとして誰もが羨むキャリアを形成するまでの道のりや、知られざる家族史、テーラーリングへの愛着、今後のグローバルプロジェクトについて語ってくれた。
「昔、イーストロンドンを縄張りとするギャングがいたんだ」と、電話の向こうでジェームスは昔話をはじめた。「ギャングはその一帯を支配していて、みんなに“みかじめ料”を要求していた」。それを聞いて私は、クレイ兄弟(1960年代のロンドンの裏社会で活躍した双子のギャング)の話でもするのだろうか、と思ったが、ジェームスはそこから自身の曾祖父の話を続けた。曾祖父は、第二次世界大戦が終結した1945年にロンドンに移住したという。その名は、ヘンリー・カミンスキー。ジェームスは、ユダヤ系の曾祖父がふたりの兄弟とともにロシアからロンドンに移住し、「ヘンリーズ」という理髪店をキャンバーウェルに開いたことを最近になって知った。ジェームス曰く、曾祖父の理髪店は、地元のボヘミアンの芸術家から俳優、さらには先述のギャングに至るまで、ありとあらゆる人が訪れる人気スポットだった。
「そのギャングは曾祖父のことをすごく気に入っていて、みかじめ料を一度も要求しなかったんだ。曾祖父の誕生日には、理髪店で誕生日パーティーを開いてくれたんだって。笑っちゃうよね。店の奥にはバーカウンターがあって、よくそこで一緒に飲んでいたらしい」。自分の家族史にまるで映画のようなエピソードがあったなんて、さぞかし驚いたでしょう、と私がコメントすると、次のような言葉が返ってきた。「僕のすべての作品には、記憶や経験、そして言葉が内含されている。この話を聞いたのは最近のことなんだけど、すぐにもっと掘り下げるべきだと思った」。ジェームスはいま、曾祖父からインスピレーションを得た一連の絵画を制作中だと明かした。
アーティストとしての道を歩みはじめてからというもの、ジェームスは常に歴史にインスピレーションを得てきた。ロンドンにキャンパスを構えるキャンバーウェル・カレッジ・オブ・アーツの絵画科を卒業すると、時を待たずして動画や彫刻、写真、コラージュといった、より野心的でデジタルな3Dアートの世界に飛び込んだ。卒業の翌年の2016年には、はやくも「These Colours Don’t Run」と銘打った個展をカルーセル・ロンドン(Carousel London)で開催し、さまざまな手法を用いて完成させた作品をひとつの舞台で展示しながら、古き良きマカロニ・ウエスタンが自身の美意識に与えた影響を探求した。壁画に砂漠の色調と、ほとばしる色彩との見事なコントラストを描くいっぽう、隣には白のダンガリー生地を置いた。よく見ると、生地はアーティスト自身の手による文字や落書き(何が書いてあるのかは不明)に覆われている。オンラインメディアのコンプレックス(COMPLEX)は、ジェームスを「ロンドンのアートシーンの常識を覆す、気鋭の若手アーティスト」と絶賛した。
その後もジェームスは、ロンドンやベルリンで個展を開催した。何らかのカテゴリーに当てはめられることを好まない彼は、超現実的かつ写実的なオキシデーション・ペインティング風のアートないしプリントアート作品から、2018年の個展「American Dream」に象徴されるような大規模なインスタレーションに至るまで、新しい手法や素材を使って斬新な作品を発表し続けてきた。「American Dream」では、垂れ下がったアメリカ国旗がボウリングのピンやレンガ、リサイクルされた木箱など、一見打ち捨てられたかのようなオブジェのディストピア風の集合体を見下ろしていた。その翌年に開催された、さまざまな生地からつくられた等身大の彫刻作品とアメリカーナにインスピレーションを得た絵画からなる個展「Sharper than Razor Blades」は、ロンドンのイブニング・スタンダード紙が刊行するESマガジン(ES Magazine)によって「ロンドンで見るべき3大ベスト・エキシビションのひとつ」に挙げられた。
ロンドンでは、若手アーティストたちの競争が熾烈だ。アーティストとしてのスタート地点に着くためのチャンスも限られている。美大を卒業したばかりのジェームスが瞬く間に成功をつかむことができたのは、いったいなぜなのだろう? そう尋ねると、ジェームスは「興味深いよね」と考え込むように言った。「美大では、卒業後のサバイバル方法を教えてくれない。それよりも、作品を仕上げるまでのプロセスや実践、そして自身の作品について語ることを奨励される。それ自体は素晴らしいことなんだけど、今後のキャリアに関するアドバイスはもらえないんだ」。“日曜画家”からプロのアーティストになるための決定的なターニングポイントは、ひとつではなかったという。「まさに五里霧中って感じだった。親戚や家族の中でも、アートをやっていたのは僕だけだったから。だから、とにかくレジデンシーに応募したり、キュレーターやアーティストに会ったりしていた。すべては、そこから発展していったんだ」
最新のアートシーンに精通していることも役に立ったという。「もともと社交的な性格だから、自然と外に出ていろんな人とおしゃべりをした。志を同じくするクリエイター仲間との会話にも助けられた。アートの世界でも外の世界でも、メンターと呼べるような素晴らしい人たちに出会えたよ」とジェームスは言葉を添えた。彼のInstagramアカウント(3万人以上のフォロワーがいる)に目を通してみると、ロンドン屈指のテイストメイカーやクリエイターたちとつながっていることがわかる。投稿に対するコメントの中でも、ジョセフィーヌ・ドゥ・ラ・ボームやサディ・フロストといった俳優に加えて、ソニー・ホールやウィルソン・オリエマなどのアーティストや、ギャラリストのアンジェリカ・マーラ・ジョプリングといった著名人の書き込みが目立つ。アンジェリカ・マーラ・ジョプリングは、アーティスト兼映画監督のサム・テイラー=ジョンソンとイギリスの大手ギャラリー、ホワイトキューブ(White Cube)の創設者であるジェイ・ジョプリンの娘である。
ひとつの投稿が目に留まった。コメント欄でジェームスは、自分の作品がルイーズ・ボネットやリアン・チャン、ラリー・スタントンといった大物アーティストの作品とともに、ストックホルムを拠点とするファッションブランド、アクネ ストゥディオズ(Acne Studios)による雑誌「アクネ ペーパー(Acne Paper)」の新刊に掲載されたと綴っていたのだ。ジェームスがファッションシーンに登場するのは、これが初めてではない。実際、オンラインメディアのカルテッド(Culted)が行った2021年のインタビューでは、「ファッションは、常に僕の人生にとって欠かせない存在」と語っている。デザイナーのルーベン・セルビーは、同年にジェームスの個展に足を運び、「CLASH」と銘打った2ndコレクションでのコラボレーションを持ちかけた。その結果、オールジェンダーを謳ったコレクションショーでは、アーティスト自らがペイントした袖なしベストやカットアウトスカート、ビッグサイズのバッグに加えて、カスタムメイドの新作プリントが披露された。
ジェームスのトレードマークは、ロックスターのような長髪と、ゆったりとしたスーツやジャケットを好むスタイリングだ。そんな彼に自分のスタイルとは何か? と尋ねると、意外にも昔ながらのテーラーリングが好きだという答えが返ってきた。「テーラーリングといっても、サヴィル・ロウに店を構えるような老舗テーラーにしか興味がないわけじゃない。僕はどこにいても小さくて素敵なテーラーを発掘することができるし、一瞬だけでもそうした世界に足を踏み入れることが大好きなんだ」。テーラーリングに惹かれる理由は、絵画と同様に、その歴史にあるという。「素材というか、テレビや映画でどのように使われてきたのかという歴史に魅了されるんだ」と、ジェームスは嬉しそうに言った。ジョン ピアース(John Pearse)という、ロンドンのソーホーのややアングラなテーラーがお気に入りのひとつだという。こうしたスーツとアクネ ストゥディオズやグッチ、ロエベといったブランドのアイテムをミックスさせることで、アートとファッションというふたつの世界を楽しんでいるのだ。
イギリスで初めてロックダウンが敷かれた頃、ジェームスは絵画に専念することを決意した。いかなるアートも“真空状態”では存在できないというように、絵画は影響力を備えた常に進化する存在であり、すべてのアーティストは互いの実験や美意識の上に存在している。話題が作品のインスピレーション源になったところでジェームスは、絵筆と絵の具から繰り出される自身の言語を構築する上で手本となった画家たちの名前を挙げた。「僕は、ピーター・ドイグが大好きだ。彼のストーリーテリングには、おとぎ話を想起させるようなロマンチックな感覚がある。フランシス・ベーコンも好きだ。居心地が悪いとも、ワクワクするとも感じられるような隔離された環境に対処できる彼の力に惹かれるんだ。アルベルト・ウールンもいいね。抽象と象徴との間を行ったり来たりするアプローチが魅力的だ」
キャンバスに描かれたジェームスの最新作のひとつは、マールボロー・ギャラリー(Marlborough Gallery)という、ロンドン・メイフェアの権威あるギャラリーで披露された。マールボロー・ギャラリーといえば、ヘンリー・ムーアやジャクソン・ポロック、ポーラ・レゴといったそうそうたるアーティストの作品をイギリスで最初に展示したギャラリーである。「Love is the Devil : Studies after Francis Bacon」と銘打った合同展(2022年2月4日〜3月5日)では、ジェームスが敬愛するフランシス・ベーコンの作品とともにプラムやモーヴ、ヒースといった色調に囲まれたぼんやりとした肖像画が展示された。合同展のタイトルの由来は、1998年のジョン・メイバリーの同名の伝記映画だという(邦題は『愛の悪魔——フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』)。この映画では、デレク・ジャコビがベーコンを、ダニエル・クレイグがベーコンの恋人ジョージ・ダイアーを、ティルダ・スウィントンがミュリエル・ベルチャー(コロニー・ルームという伝説的な酒場のオーナー)を演じた。会場でジェームスは、カイル・ダンやルイス・フラティノ、ルイーズ・ジョヴァネッリといった、いまをときめく世界的なアーティストとの対談にも臨んだ。
現在は無数の新しいプロジェクトに専念しているジェームスから、スタジオのスナップ写真がいくつか送られてきた。進行中の絵画と思しき作品では、暗い影のような背景から絵の具を何層も厚塗りにしたアンドロジナス風の人物のシルエットが浮かび上がっている。これについてジェームスは、大英博物館にある「信じられないくらい神話的な彫刻」の重々しさがいかにして純化されるかや、ワールド・レスリング・エンターテインメント(WWE)の選手の髪の色やウェアの色から得たインスピレーションについて語った。洗練された表面と、モーションとペーソスの本能的な感覚とともに、これらはジェームスにインスピレーションを与えた数々の要素を想起させるいっぽうで、一目でそれとわかる独自の美意識を浮き彫りにしている。ジェームスは、彼にしかできない方法で失われた歴史と個人の記憶を融合させ、キャンバスの上で表現するのだ。
それを見ながら私は、彼の作品が自分の家族や記憶について考えるきっかけを与えてくれるかもしれないと思いはじめた。触れられることのなかったこうした記憶には、私たちの人生を変えるかもしれないストーリーが隠れているのではないだろうか。
ジェームスは、マールボロー・ギャラリーとベルリンのギャラリーでの展覧会に向けて準備を進めている。それに加えて、アジアでのプロジェクトにも取り組んでいるという。ここで詳細を明かすのは時期尚早かもしれないが——それにジェームスは秘密にしたがるだろう——これらの作品は、彼が執筆したいくつかの短篇小説に対するレスポンスになる可能性が高いと明かしてくれた。これだけ多くのプロジェクトをどうやって同時進行でこなしているのか? と尋ねると、ジェームスは次のように言った。「締め切り前はストレスを感じていることが多いし、夜遅くまで作業をすることもある。絵は、筋肉と似ていると思う。意識を集中させるためには、ほぼ毎日スタジオに入って絵を描かなければいけない。そのいっぽうで、実験には忍耐が必要だ。だからこそ、そのための時間を割かなければいけないんだ」
最後に私は、まだ実現できていない夢はあるのか? という質問をぶつけてみた。「この時点で? 正直なところ、いまはアートと自分の作品を組み立てて、つくって、より良いものにすることに集中しているから——」とジェームスは口を開き、次のように続けた。「これ以上は無理ってとこまで自分を追い込むことができたら、いつかはどこかのブランドとコラボするのもいいかな。ちょっとしたカプセルコレクションとか——でも、服にこだわっているわけじゃないんだ。僕は、あらゆるものに対してオープンだから……たぶんね」
10 Men 58号「ELEGANCE, BEAUTY, GRACE」掲載記事
TEN GALLERY
ALEXANDER JAMES: BUILDING A MYSTERY
Text LAURIE BARRON
Portrait DOMINO LEAHA