『10 MAGAZINE JAPAN』の創刊号では、現在、日本のファッションシーンの中核を支える9人のデザイナー、二宮啓、宮前義之、山縣良和、黒河内真衣子、森永邦彦、井野将之、落合宏理、高橋悠介、中里唯馬にフォーカスを当て、それぞれに10の質問を投げかけた。
本誌ファッション・フィーチャーズ・ディレクターでファッションジャーナリストの渡辺三津子が、彼らの創作の軌跡を追い、それぞれが切り拓く未来への視座に迫った。ここでは、日本のファッションシーンを最前線で見つめ続けてきた渡辺による特集企画の総論を掲載する。
90年代のファッションのパワーに育てられた世代
日本には、校舎のないファッションスクールが存在する。現在、世界のファッション界でもその名を知られる日本の中堅デザイナーたちは、それぞれどこかの学校の“卒業生”だといえる。では、どんな学校なのか。第一に挙げられるのは、日本のレジェンドであり世界のファッション界に革新をもたらした人々──三宅一生、川久保玲、山本耀司──の「学舎(まなびや)」だ。彼らのもとで学んだ精神や経験を受け継ぎ、クリエイションの礎とする次世代の活躍には目覚ましいものがある。
今回、『10マガジン ジャパン』が注目した9人のデザイナーのうち4人は、イッセイ ミヤケとコム デ ギャルソンに属するデザイナー、またはその出身者である。宮前義之はイッセイ ミヤケの4代目のデザイナーを経験したのち現在はエイポック エイブル イッセイ ミヤケのブランドを率い、二宮啓はコム デ ギャルソン社のなかで自身のブランド、ノワール ケイ ニノミヤを担っている。マメ クロゴウチの黒河内真衣子とCFCLの高橋悠介は、三宅一生の薫陶を受けた後、独立して自身のブランドを立ち上げた。
“学校”はデザインハウスのなかだけでなく“ストリート”にも存在した。2018年にLVMHプライズ・フォー・ヤングデザイナーズでアジア出身のデザイナーとして初のグランプリを受賞したダブレットの井野将之は、90年代に巻き起こった“裏原”ブームの影響を受けて、高校2年で「服に目覚め、ファッションデザイナーになりたい」と思ったという。
同じくLVMHプライズで2016年に日本初のファイナリストになったファセッタズムの落合宏理も、“裏原”ムーブメントのなかでNIGO®やアンダーカバーの高橋盾が世界の視線を集め始めるのを目の当たりにして、自分の将来の夢を抱いた。
「田舎出身だったので」と自身の10代を振り返るリトゥンアフターワーズの山縣良和は、深夜のテレビのファッション番組を見て山本耀司や高橋盾のように「デザイナーとして生きてゆく」という選択肢に巡り合う。今は、より多くの人々にファッションを通じて生き方を描く可能性を知ってもらうために、山縣は私塾の学校(ここのがっこう)をブランド創設とほぼ同時に立ち上げた。
今回登場する9人のデザイナーたちは皆、70年代後半から80年代半ばまでの10年の間に生まれており、その青春時代の多くを90年代に過ごしている。バブル景気が弾けた後も、90年代の東京にはファッションのエネルギーと多種多様な刺激が満ちていた。
日本独自のストリートウェアの熱気が高まる一方で、パリではベルギーデザイナーたちが活躍し始め、東京には後に世界初のマルタン・マルジェラのショップが誕生する。ベルギー勢の魅力をいち早く見出し、支持したのは日本の熱心なファッションラバーたちだった。落合はそんな状況を「同時多発的に世界中でムーブメントが起きていたけれど、その中心はやっぱり日本だったなと思う」と当時を振り返る。
青山・表参道にはまだラグジュアリーブランドの旗艦店が並ぶ前だった。大御所の日本ブランドと裏原の店以外にも、ビームスやユナイテッドアローズの後を追うように、ヨーロッパ系の気鋭ブランドから並行輸入のアメリカンカジュアル、ワークウェア、古着などがゴチャ混ぜになりながら、個性的なセレクトショップが品揃えのユニークさを競い合っていた。そんな貪欲でオリジナリティ溢れるショップも、若者たちの立派なファッションの学校だったといえよう。
Photographer YASUTOMO EBISU
Interview & Text MITSUKO WATANABE
Sitting editors SAORI MASUDA and TOMOMI HATA
Digital editors SHOKO NATORI and MIKA MUKAIYAMA
