ラグジュアリーホテルの世界は長らく、由緒ある一族や巨大企業が築いた不文律に支えられ、変化には少なからぬ抵抗が伴う……そんな枠組みの中で成り立ってきた。だがいま、その潮流を書き換える新たな担い手たちが現れている。異なる風土と美意識を背負う4組のホテリエに共通するのは、「いま人々がどのように旅をしたいのか」を鋭く見据え、訪れる人が自分らしく過ごせる空間を生み出そうとするセンスだった。
クリストファー・シャープとスザンヌ・シャープ/「カーサ・ボナヴィータ」(マルタ島)
COURTESY OF CASA BONAVITA
ロンドンを拠点とするクリストファー&スザンヌ・シャープ夫妻。ラグブランド「ザ・ラグ・カンパニー」の創業者として知られる二人が、この5月、初のホテル「カーサ・ボナヴィータ」を開く。彼らはマルタ島を新たな旅の目的地として印象づけようとしている。イタリアやギリシャ、南仏といった地中海の定番の陰に隠れがちだったこの小さな島は、多くの旅行者にとって第一候補とは言い難かった。だがカーサ・ボナヴィータは、その流れを変えるかもしれない。
首都ヴァレッタから車で西へ約20分、アッタードに佇む18世紀の邸宅を舞台にした全17室のホテルは、5年をかけて修復されたもの。シャープ夫妻が手入れしてきた庭園に抱かれ、滞在はまるで暮らすような心地よさ。緑豊かな屋外空間を備えたスイート、コーヒーとペストリーを囲む邸宅のキッチン、そして代々受け継がれてきた家具や蒐集されたアート、シチリア産大理石やムラーノガラスが重なり合うインテリア。島にルーツを持つスザンヌの感性が、静かに息づいている。「地中海らしさを演出するのではなく、マルタ本来の魅力を自然に感じてもらえたら」と彼女は語る。場所、歴史、そして日常の営みそのものに語らせる姿勢こそが、この場所の説得力だろう。
「このホテルが、旅人たちに定番のルートの先へと導き、マルタをより深く味わうきっかけになれば、それ以上に嬉しいことはありません」
Instagram: @casabonavita
casabonavita.com
アヴィ・ブロッシュ/パリソサエティ(アメリカ)
COURTESY OF PALISOCIETY, LE PETIT PALI
アヴィ・ブロッシュが最初のホテル「パリハウス・ウエスト・ハリウッド」を開業したのは2008年。それ以来、彼の率いる「パリソサイエティ」は、いまや希少となった“パーソナルな感触を失わない成長型ホテルグループ”という独自のポジションを確立してきた。昨年はナパ・ヴァレーのセント・ヘレナやラグナビーチなど、新たな土地へと展開。しかし規模拡大にありがちな均質化の罠には陥らない。「拡大そのものを目的にすることには魅力を感じません。成長が意味を持つのは、それぞれのホテルが“その場所、その瞬間にしか存在し得ない”と感じられるときだけ」とブロッシュは語る。
パリソサエティの空間を貫くキーワードは、温もりと快適さ。色彩豊かなファブリックや壁紙が重なり合い、どこか懐かしくも新鮮なムードを醸し出す。「それぞれのホテルが、その土地とコミュニティを心から大切にする人々によって運営されていると感じられることが目標。決して“量産型”に見えないよう、細部まで徹底的にこだわっています」
シアトル、サンフランシスコ、カーメル、サンタモニカへと広がるその歩みは、拡大路線が常識となった時代にあって、それはむしろ思い切った選択だ。だからこそ人は、この場所を繰り返し訪れたくなる。「パリソサエティが、ユニークで信頼でき、価値ある体験を約束するレガシーブランドとして、人々に探し求められる存在になれば嬉しいですね」
Instagram: @palisociety
palisociety.com
ヴァレンティーナ・デ・サンティス/「グランド・ホテル・トレメッツォ」と「パッサラクア」(イタリア)
COURTESY OF GRAND HOTEL TREMEZZO AND PASSALACQUA
ヴァレンティーナ・デ・サンティスがコモ湖畔の家族経営ホテルのCEOに就任したとき、受け継いだのは名門の名だけではなかった。創業115年の「グランド・ホテル・トレメッツォ」は、伝統を重んじるイタリアの名門グランドホテルの系譜に連なる存在。それでも彼女は、古き良き魅力を守りながら、変わるべきところはしなやかに更新していく新世代の“クラシック派”といえる。
「トレメッツォを受け継ぐことは、優雅な歴史と湖畔の記憶を引き継ぐような気持ちでした」と彼女は語る。託された役目は、ホテルを劇的に変えることではない。親の世代が訪れた思い出の場所を、若い旅人にとっても魅力的に感じられる存在として受け継いでいくことだ。格式ある佇まいに反して、もてなしはどこまでも温かい。その精神は、2022年に誕生した姉妹施設「パッサラクア」にも息づく。湖を挟んでボートですぐの元私邸のヴィラは、24室の限られた客室で、両ホテルを行き来して過ごすゲストも多い。
トレメッツォが華やかな湖畔滞在を象徴する存在なら、パッサラクアは穏やかで私的な時間をもたらす場所。注目が高まるコモ湖のホテルシーンのなかで彼女が大切にしているのは、決して真似のできない価値だ。「私たちのホスピタリティを特別なものにしているのは、大理石の床や料理だけではありません。大切なのは、生き方そのものなのです」
Instagram: @ghtlakecomo
grandhoteltremezzo.com
メリーアン・ルーム=マルタン/ジャナン・タムスナ & ジャナン・カルウェン(モロッコ)
COURTESY OF UBUYU JNANE KARWAN
メリーアン・ルーム=マルタンが24室のホテル「ジャナン・タムスナ」を開業したのは20年以上前。振り返れば、彼女はマラケシュのホテルのあり方そのものを更新した存在だった。マラケシュ初のブラック・ホテリエとして、文化や大陸を横断してきた自身の経験を背景に、長く固定化されてきた“モロッコ様式”に新たな視点を持ち込み、均一性にとらわれないホテルを生み出した。
「マラケシュでデザインすることは、絶対的な自由を意味します」とルーム=マルタンは語る。「ここではフレンチ・アールデコと、ムーア文化のさまざまな表現に形づくられた多彩な文化、セネガルやマリのサヘル世界からモロッコ、さらにはスペイン、ポルトガル、トルコ、北インドに至るまでを織り合わせることができるのです」
ジャナン・タムスナの空間には、彼女自身の審美眼が色濃く反映されている。「家具のほとんどは私自身がデザインしました。すべてが個人的なもので、それぞれに物語があります」。その哲学は、新たに開業したより実験的なプロジェクト「ジャナン・カルウェン」にも受け継がれている。テント型の宿泊施設を導入し、アフリカのアーティストのための発表の場も広げた。
「ホテルを手にし、隅々まで自分でデザインできるなんて、なんという喜びでしょう。しかも私は同じ部屋を二つと作れない性分なのです。退屈している時間なんて、人生にはありませんから」
Instagram: @jnanetamsna
jnanetamsna.com
Text JOHN WOGAN
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